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カテゴリ:鎌倉だより
週末は久しぶりの青空 あたたかな陽射しのもと 鎌倉の梅も見頃を迎え 多くの人で賑わっているころでしょう 扇ケ谷の英勝寺の梅も いまが満開です 祀堂前より仏殿をのぞむ 3月9日撮影 水仙や山茱萸(さんしゅゆ)も咲いています 英勝寺の土地は 室町時代に江戸城を築いた 太田道灌の屋敷があったと伝えられています その真偽ははっきりしませんが 寛永13年(1636)英勝寺を創建した お勝(英勝院)という女性は 太田道灌の息子資康(すけやす)のひ孫でした 彼女は家康のお気に入りの側室で 水戸徳川家の初代にあたる頼房(家康11男)を 養育したことでも知られています 太田道灌の名前が広く知られるようになったのも 家康が道灌ゆかりの江戸に幕府を開き 道灌の子孫が家康の側室になったことが 大きなきっかけだったようです そのなかで文武両道に優れた道灌像も創られていきました お勝は 英勝寺を建立してから6年後の寛永19年(1642) 江戸の千駄木で亡くなります 遺体は由比ヶ浜で荼毘に付され 英勝寺の祀堂(しどう)に葬られました その祀堂や仏殿(宝珠殿)周辺は いま白梅が咲き乱れています 英勝寺の最初の住持は 徳川頼房の娘の小良姫(こよしひめ)でした その後 歴代の住持も水戸の徳川家から迎えています このため「水戸様の尼寺」ともよばれました 水戸黄門の名で知られる徳川光圀も 延宝7年(1674)に英勝寺を訪れ 一週間ここに滞在しながら鎌倉の寺社を訪れています その後 光圀は 家臣を鎌倉に派遣して鎌倉の地誌を調べさせ 『新編鎌倉志』を完成させます その調査の拠点もここ英勝寺でした 『新編鎌倉志』は 鎌倉の歴史を調べるうえで いまもっとも重要な文献のひとつになっています 黄門さんは 鎌倉の街にとっても 大きな功績を残した人だったのです 家康に愛されたお勝を偲びながら また黄門さんが見た同じ風景を楽しみながら 英勝寺を散策されてはいかがですか 3月9日撮影 あすは いま鎌倉でもっとも美しい梅がみられる 宝戒寺を紹介します お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 12, 2006 11:54:34 AM
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