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カテゴリ:自然と季節
人の心のなかには忘れることのできない、沢山のアルバムがある。 旅の風景、大好きな人と逢ってる時の風景・・。悲しい想い出のアルバムは、その時の悲しみが苦い記憶となって蘇って来るので、できれば開きたくないけれど、楽しかったことや感動したことは、何度でもそのページを開いて情景を再現してみたくなる。 心象風景・・その言葉は、遠くわたしが高校生の時に読んだ、清川 妙さんの小説の題名のなかにあった。コバルトブックスという、女子学生対象の小説シリーズのうちの1冊だった。その小説の内容はもうよく覚えていないけれど、流れる川に浮かぶ花びらを見つめているような、ヒロインの情景の記憶だけが残っている。 だけど、実際にわたしが桜の花びら、新緑、紅葉・・・、そして海や山・・・様々な自然に心象風景を求めるようになったのは、極最近のような気がする。 自らの周りの現実の出来事、歴史とともにそれらの美しい風景が背景となり、挿絵となって心のアルバムを綴っているのだ。 さて、今年の晩秋の風景はどこに求めて行こうか・・と現在検討中である。 一昨々年は粟生光明寺、一昨年は、嵯峨野の常寂光寺、宝筐院、野々宮神社、落柿舎、昨年には永観堂、南禅寺、真如堂、法然院、東福寺に紅葉を尋ねて訪れた。何れの紅葉も甲乙つけがたいほど美しく見事だった。見たままの紅葉の美しさを再現するには、悔しいけれど、わたしの撮影の腕は未熟すぎて満足いくものがなかなかない。 今日の晴天は撮影には最適なのだけれど、如何せん京都の紅葉の見ごろが殆どまだ山手のみのようだ。あと2週間すると燃える京都が鑑賞出来そう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年11月13日 10時02分20秒
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