カテゴリ:「共」育
私が教壇に立ち始めたころ、
大ベテランの家庭科の先生から、こう言われたことがありました。 「子どもを産んだこともない人に、保育なんか、教えられるはずがない」 具体的な言葉は忘れましたが、そのような趣旨のご発言でした。 そう言えば、 「実際に家庭を作ったことがないのに、家庭科を教えられるんですね」 とのメールをいただいたこともあったなぁ・・・ 詳しくは→★ ん~。私ってば、敵を作りやすいのね 当時は、家庭科の男女共修が始まった直後で、 教科書にも、性に関する記載もありました。 そこで、ベテランの先生方があまり扱われない、 でも生徒は興味津々の、性の分野を あえて、重点的に扱うようにしました。 そういう意味では、そのベテランの先生のご発言が、 私を育ててくれたのかもしれませんね。 片親、あるいは再婚されて、血の繋がっていない親だけど、 自分は学校の教師になったことを、 周りに誇示している方たちもいらっしゃいました。 「自分が片親だから、生徒たちの悲しみがわかる」 とおっしゃっていた方もいました。 もちろん、そんなことを誇示しない先生も たくさんいらっしゃいますが。 病気や怪我に関しても、ご自身が罹っているか否かで、 支援活動の重みや共感、説得力が大きく異なるようです。 もちろん、実際に経験していない者にはわからない、 悲しみや辛さ、よろこびもたくさんあるでしょう。 辛いご経験から、繊細になっていらっしゃるでしょうし、 周りの配慮が足りず、傷がさらに深くなり、 警戒心が高まっていることもあるでしょう。 でも、ジャンルは違っても、皆、それぞれ 辛いことや悲しいこと、よろこびも抱えているはず。 その度合いの比べっこは不毛だと思うし、 経験がなくても、痛みや悲しみにより添い、 よろこびを共有することはできると、信じたいです。 でなければ、多くの支援活動が欺瞞、 自己満足になってしまいますもの。 ま、ご自身の幸せを確認したり、わけるつもりで、 活動されていらっしゃる方もいるでしょうが。 ご経験なさった重みや強みにはかなわないけれど、 経験の有無でフィルターにかけられてしまうと、 経験を持たない人間は、どこまでいっても共有できません。 ご経験を振りかざされたり、 悲劇のヒロインになってしまわれたり、 周りから崇められ、英雄になってしまわれると、 私は、逆に共感しづらくなってしまいます。 ちっぽけな人間です・苦笑 支えてくださっている方たちのご配慮に、 感謝できる自分でありたいです。 そして他人の痛みや悲しみに敏感でありたいし、より添い、 よろこびを共有できる自分でありたいと思います。 これは、自戒ですね。 ひな人形の宣伝ヘリコプターが行き来しています。 日本て、すごい 今日もぽちっぽちっと応援ありがとうございます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 19, 2009 09:40:19 AM
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