|
カテゴリ:Others
アメリカからファイバーとプロテインのしっかり取れるバーを多めに持参した私。 事前に飲料水はもう大丈夫、持参の必要はないとの情報だったので、最低限の水と緑茶のボトルを2本持っていっただけでした。 ところが、赴任先の公民館についてみたら・・・ お水だけでなく、朝食にコンビニおにぎりと山崎の菓子パンが3食分配布されて、被災者の皆さん、公民館の職員と同じハイカーボのヘビロテが最初の2日間の食事でした。 津波を一軒の差でぎりぎり逃れた坂の中腹にある公民館ですが、私が到着した時には、電気も水道も普通に使えて、上の階のトイレが排水のつまりを予防するために、ペーパーを流さないようにしていたぐらいで、かなり通常に戻りつつあったようです。 なので、持参したバーは皆さんのおやつに・・・と、先人のキャンナスたちが置いて行った「置き餌の箱」に混ぜておきました。(笑) ちょうどファイバー不足でスタッフも便秘気味の人が多かったようなので、次に来られるスタッフ達には、ファイバーとビタミン、蛋白源が取れる携帯食と、My箸とカップを出来るだけ持参してくださいと情報を流してもらいました。 写真は3日目の夕食から配布されることになったお弁当の一例です。 公民館の職員が、被災者と職員+キャンナスのスタッフの分も市に注文を出してくれて、久しぶりにたんぱく質の入った食事となりました。 それまでは、先人のキャンナススタッフが持参したインスタントのスープやお菓子やインスタントラーメンもたくさんあったので、お昼はそれを混ぜてみたりしたのですが、ともかく、ハイカーボな三食ヘビロテで、普段カーボの摂取を控えている私にしてみたら、一気に5~6倍のカーボ摂取量となりました。 シャレになりませんよね~。 被災地にボランティアとしてやって来て、肥えて帰ったら・・・(苦悩) 何しにきたんだ?って感じですよね。 それでも・・・とりあえず体力を維持することが優先し、毎日ジーンズの足と腰周りのフィット感を気にしつつ、食べ続けました。 三食ファイバープロテインバー×8日間で乗り切ろうと意気込んでいったのに・・・それなのに、それなのに・・・3日目の夕方に、久しぶりにまとまった蛋白質摂取・・・やっぱりうれしかったです。 結構動いて、三階建ての建物の階段手すりの消毒で上下に動いたりもあって、じっとしていることが少なかったから、それなりにカロリーを消費していたのかもしれません。 はいて行ったジーンズを、そのまま着て帰ることが出来ました。 被災直後に、小さいおにぎりを半分ずつ分けて食べていた被災者の方が、冗談交じりでそれがどれだけ小さかったか・・・という話をしてくれましたが、そんな風に話してくれるようになったのは、私が帰る日が間際になって・・・。 その頃は、まだキャンナスもここにつめていなかったのですが、最初に現地に入られた方達は、たくさんの食料を持参して、自己完結型のボランティアを目指されていたようです。 この公民館は、石原軍団が炊き出しに1週間来てくれたところらしいのですが、私が滞在中にも、大阪からたこ焼きと明石焼き、鉄板焼きで焼肉、三角揚げ(東北地方の厚揚げ?)の炊き出しが来てくれました。 当然キャンナスのボランティアとしては、辞退すべきところなのですが、被災者のおばちゃんたちが、キャンナスさん達の分もぉ・・・と取りに行ってくれたり、職員や炊き出しボランティアの方が、たくさん数があるから・・・と呼びにきてくださったりして、ちゃっかり仕事の合間にご馳走になりました。 炊き出しに遠くから来られたボランティアの皆さんにお礼を言いに行った際に、いろいろと情報交換も出来たのも良かったです。 5日目ごろ、診察に来られていた兵庫の医療チームのT沢先生の助言とプッシュもあって、夕食に汁物系ともう一品のおかずが炊き出し開始となり、中央公民館の1階にある調理室でボランティア(四万十塾のみなさん)と被災者の主婦代表2,3人で調理をすることになりました。 なので、被災者の皆さんの食事は、だいぶ潤って来ておりました。 やっぱり温かい汁物があると、まだ春浅い東北地方のみなさん、とてもうれしそうでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 14, 2011 06:00:15 PM
コメント(0) | コメントを書く
[Others] カテゴリの最新記事
|
|