今回は、前回に続き
「【江戸時代】雲晴寺 ~里見忠義供養塔~」
里見八犬伝ゆかりの墓をめぐっております。
前回のは新しいので、それより古いのがあるようです。
説明がありました。
『天保二年』(1645)銘の石塔
平成15年(2003)に本堂新築工事に伴う事前の
発掘調査で出土、当寺内の里見忠義忠義の石塔は、幕府に対する
謀反疑惑に取り潰されたこともあり、表立って手厚く供養する
ことができないため、法明と没年の一部を故意に変えてあり
忠義の33回忌にあたる承応3年(1654)に建てられた
と考えられている。このことを考え併せると、この
「天保二年」銘の石塔が当寺における銘をもつ石塔のなかでは
最も古いと位置付けさせることがでけいる。
個人的には、幕末に長州征伐せまるなか、親藩の明石藩の城近くの当寺に敵の伊藤博文を宿泊させたことのほうが、謀反感を抱く気がしますが、ばれなかったのでall OKなのでしょう。
「【江戸時代 幕末】雲晴寺 ~伊藤博文滞在所~」
なんなら、明治なったら新政府軍の功労者ですからね~。
次回も、雲晴寺が続きます。
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