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クリスマスが近づくと思う、私は反対サンタ。プレゼントをもらって喜ぶのは子供。その子供にプレゼントあげてうれしいのは大人、私はその子供のプレゼントを取り上げて喜ぶのが反対サンタ。チョット違うか?。ラベル(?)が違う。自分が自分の身内にプレゼントする。そりゃ言ってみれば共に<私達の世界>の出来事。恋人でも、友達にでもプレゼントでも、お返しがあったり、感謝されたり・気持ちだけでも、どこかで何かは少しは戻ってくる。そりゃーお互い楽しい、良かったね!。でも!私のはそうじゃない。プレゼントをあげるサンタが一番うれしいのです。 町内会のお掃除ボランティアでも、自分の住む所を掃除するわけですから、大きな意味で自分の家掃除しているようなもの。ある意味自分の都合でしかない。地球環境問題でも、自分の住む地球を何とかするわけだから、本当の意味で他者に対する<無償の奉仕活動>でもない。自分の為にする事を奉仕活動というのも変だからです。よく企業では<死に金を使うな!>と、言います。損しても良い・タダでも良い、後で戻ってくる所へ損をしろ、というわけですね。サンタも企業家もボランティアも、どっかで見返りを期待してたら同じってわけかな?。 人間だから、絶対に損得を考えてしまうから、見返りを考えないなんて出来ない。そうかもしれません。私は昔からボランティアか活動をしてきたから、こういう事いつも考えているのです。売名・自分の利益の為と思われないかとか、そうでもないとか。ある時気づいたんです。そうかキーは、<他者の存在だな!>と。たとえ身近な人・隣の人に何かしてあげたとしても、自分にとってまったく別の世界・他人として何かしてあげたのなら、それは見返り無しって事なんだ、と。自分の世界がちゃんと出来て、私と私達の世界の他に、<他者の世界が広がっている>のなら、そこにはちゃんと本当のサンタの世界が広がっていうんじゃないかって、そう思うのでした。それが反対サンタナノダ! 私はご存知のように外国によく出かけます。12月は特に忙しい(エッ?シィー!違うってぇ!)。20年ほど前、ヨーロッパでのアパート(友人の)に帰る時の事。季節はもうすでに冬でした。ヨーロッパの夜は早い。その日の夜はジャンパーを着ても寒かったので、私はアパートに急いでいた。石畳と石積みのビルが並ぶ狭い通路を抜け、暗い空の広がる広場を斜めに横断、もう少し歩けば彼のアパートに着くところだった。 ヨーロッパの都市には必ず幾つもの広場があります。市民の憩いの場所。朝から杖を付いた老人が集まり、おばさんや若者がたむろする。しかし、すでに暗い、ここには結構危ない人が居るので用心するのだ。私は広場を横目でにらみながら通り過ぎようとした。ガラーンとして人気はまったく無かった。しかしよく見ると、広場の端のベンチに、黒い老人のシルエットが見えた。ホームレス?、ベンチにじっと眠るようにコートの襟を立てて老人が座っていた。足元には紙袋が置いてあった。私は立ち止まった。しばらくじっと見た、やはり周りには誰も居ない。そして走って老人の所に行って、彼の手を取って小銭をすべて彼に渡した。彼は一瞬、私を見上げた、そかし薄暗いので私の顔は見えなかったでしょう。彼は何も言わなかった、私も何も言わない、急いでアパートに帰った。 彼は私が誰だか分からないし、分かったとしても二度と会う事は無い。まったくの偶然に会って、瞬間目が合っただけ。その事に意味があるのか無いのかまったく分からない。誰も見てないし、まったくの外の世界との係わりだな~~、と思った瞬間、胸いっぱいに感動が広がった。小銭をあげただけなのに、何故か、何故か感動が止まらなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年12月23日 01時05分29秒
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