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「どこの誰かは 知らないけれど誰もがみんな 知っている月光仮面の おじさん」という昔のテレビドラマ「月光仮面」の歌詞があった。「徒然草」の著者として有名な吉田兼好も名前は知っているけど、この人物像については、よくわかっていない。まるで月光仮面のようだと評しているのは金沢文庫の学芸員である。 この6月、東京、神奈川で吉田兼好「徒然草」に関するイベントが次々行われている。 兼好が書いたはずの「徒然草」は存在していない。兼好生存当時は、読まれもしなかったようだし、兼好の名も知られていなかった。脚光を浴びるのは正徹が「徒然草」の本文を筆写してからだ。江戸時代になると本として発行されるようになり、字が読めない人に対しても絵本や屏風、絵入り豆本が多量につくられるようになる。多種類の注釈書が発行される。この正徹本も含め、これらの資料がズラーと並べられた展覧は壮観だ。注釈書が多量に出ていたということは、江戸時代の人にとっても「徒然草」は読むのに苦労していたようだ。同時に注釈書を使っても読むに価値あるものとして認識されるようになった、ということだろう。 金沢文庫所蔵の、最大のお宝は、狩野探幽筆「兼好法師像」であろう。国語の教科書や「徒然草」関連本には兼好の肖像画として、これが使われる。昭和35年、金沢文庫は京都の富山房から購入した。富山房は東京の出版社として有名だが、京都の富山房は古書店である。それ以前の来歴は不明である。この絵は実物を見ると兼好の画像は下の方に小さく描かれている。床の間にかけられていたようだ。これに似た画像が、6月11日からのサントリー美術館で展示される海北友雪(かいほくorかいほうゆうせつ)が描いた絵巻である。こちらはサントリー美術館が力を入れて発掘し、大枚をかけて入手した、今回の目玉である。 では、当の「徒然草」には何が書いてあるのか。古典文学を通して京都、関西への旅を誘う目的のJR東海生涯学習財団主催の「講座 歴史の歩き方」で「徒然草を読み直す」という講演会があった。放送大学教授の島内裕子さんと城西国際大学客員教授の三木紀人(みきすみと)さんの2つの講演があった。お二人とも徒然草研究の泰斗である。島内先生は放送大学の授業で「徒然草を読む」というのがあったが、現在は終了している。遠景、内景という2つの読み方の違う講座を展開していたが、これらをまとめて「徒然草をどう読むか」(左右社)という本にされている。ちくま学芸文庫「徒然草」では本文、訳、評が簡便にまとめられ、通して読むには適している。島内先生は、学校で「徒然草」を読まされる場合、テーマに注目する「抽出読み」が多くされているが、兼好の思索が見えてくるには「連続読み」が必要と強調している。内容的にはカントの「判断力批判」に匹敵するほどだという。兼好の場合は、これを哲学としてでなく、文学として表現しているところが読みどころとのことだ。 三木先生は講談社学術文庫で4巻本として「徒然草」を執筆している。こちらは本文、訳は当然だが、言葉一つ一つに注解が入っており、各単語のバックグラウンドを理解することで、兼好の深い思索が理解できるということで文庫本にしては大冊になっている。三木先生は、最終段の8歳の兼好が「仏とは何か」と父に問う場面の意味から初段の「つれづれなるままに...」の意味を考えるという解釈方法を展開された。自分なりの読み方を発見することが、徒然読みなのだろう。 そのほかに大量の関連本が出ており、本屋さん、図書館に行けば見つける事ができる。小林秀雄のように「徒然草」の文章は明解、理解しやすいという文学者もいるが、原文は簡単には読めない。江戸時代と同じように注解書を入手して、じっくり読むことで、人生の達人の兼好の思考方法に近づける。 「徒然草ー美術で楽しむ古典文学」
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最終更新日
2014.06.22 13:32:34
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