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中高年の生涯学習

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2014.07.20
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現在の安倍政権は非常に危険な方向に走っている。これを食い止めるのは市民の良識的な目である。1年後、数年後に自分の家族、親戚、友人が黒こげの死体に変わってしまい、嘆いても、すでに遅しである

今から70年前、日本は戦時体制であった。国民はいつのまにやら、この体制にのみ込まれた。国の上層部が何をやっていたのか、知る由もなかった。マスコミの問題、教育の問題があるかもしれないが、最大の問題は、重要なことが秘密裡に進められ、国民は何も知らない状態に置かれたのだ。先日、秘密保護法という奇妙な法律が成立した。戦時体制に持っていくためには、どうしても秘密に行わなければ、事は進まないと為政者は知っているのだ。

かつて日本には陸軍という戦争専門の部署があった。東京都新宿区戸山町、国立医療センターわきの道に軍医学校の跡を示す小さな碑が建っている。この周辺は陸軍の本部があり、軍医学校は、そこに付属していた。数年前、近くの国立衛生研究所の工事中の場所から大量の人骨が発掘されて大騒ぎになった。戦後、陸軍がなくなり、跡に国立リハビリテーションセンターが出来た(後に所沢に移転)。東京中野駅前には、現在のサンプラザの辺りには陸軍中野学校があった。映画にもなったが、ここはスパイ養成学校だった。

そしてもう一つ、多摩川の流れに沿う丘陵の上に、登戸研究所という、陸軍の秘密戦の兵器の開発する拠点があった。非合法という意識があったのだろうか、ここは秘密のベールに包まれて、一般の人には恐ろしい所、近づいてはいけない所だった。職員は1000人ぐらいいたようだが、特務機関、憲兵に付きまとわれ、中の仕事のことを外部にもらすことは、身に危険が及ぶものだった。ある建物は高い塀に遮られて、職員でも、何が行われているか、わからない状態であった。

ここは、現在は明治大学生田キャンパスになっており、農学部、理工学部が置かれている。戦時中の闇に包まれていた所が、若い学生の青春を謳歌する場所に変わっている。明治大学は、戦争の記憶を忘れないために、学生の平和教育の場所として、登戸研究所資料館を作った。ここは学生はもちろんのこと、一般市民にも開放され、登戸研究所の実態を研究、展示事業を行っている。

市民に対して、レクチャーと研究所の見学会という行事があり、参加することができた。実際の現場を見るという経験はなかなかできないし、貴重だ。
小田急生田駅南口をおりて、向ケ丘遊園の方向に歩くこと10分。急な上り坂になり、上り切るとキャンパス内に入る。大きな案内図があるので、位置を確認して資料館まで歩く。開館時間は水曜~土曜、10時から16時までで入場は無料である。夏季、冬季の休み、試験期間は休館になるので、出掛ける場合はホームページ等で確認したほうがよい。

資料館は、登戸研究所第二科の実験棟で、建物自体が遺構である。がっしりした立派なもの。内部は、5つの展示室があり、第一展示室は、歴史的背景、組織の概要が紹介される、序論である。ここで目的遂行のため、民間機関や科学者が動員されたことがわかる。科学は、人々の安全な生活、幸せのために使われるべきだが、まったく逆のことに使われた。今の原子力発電所などを想起してもよい。
第二展示室は風船爆弾についての紹介だ。アメリカ本土を攻撃するために開発され、9300発が放球された。最初は牛疫ウイルスという生物兵器を搭載する予定であったが、アメリカからの報復をおそれた陸軍は通常爆弾に変えた。風船爆弾という名前からちゃちなものという印象だが、多くの科学者の知恵が入り、工夫もされている。展示室には10分の1の大きさのものが展示されているので仕組みをみることができる。アメリカ大陸に1000発が着弾したそうだ。

第三展示室は登戸研究所の中心第二科の活動が紹介されている。日本陸軍の秘密戦を支える兵器、資材の開発を行っていた。秘密戦とは防諜、諜報、謀略、宣伝のことである。ここで重要なのは青酸ニトリルの開発である。毒物兵器は飲食物に混入しても疑われないもので、青酸ニトリルは遅行性という特徴をもっていた。
遅行性とは効果が時間が経過して現れるもの。中国の病院で人体実験が行われたようだが、帝銀事件でも、これが使われたのではないかと疑われた。

帝銀事件とは、1948年(昭和23年)1月26日、東京都豊島区椎名町の帝国銀行に「東京都防疫部」の腕章をまいた男が現れ、赤痢の予防薬と称し、工員16人に毒物の飲ませ、12人が死亡、4人が重体となった事件である。その後、小樽で画家の平沢貞通さんが逮捕され、死刑が確定し、本人は無罪を主張していたが、先年獄死した。警視庁は当初、青酸ニトリルで登戸研究所を疑っていた。特殊な毒物を一般人が入手できるはずがない、と思っていた。ところが裁判所は毒物を青酸カリと認定し、死刑が確定した。戦後の闇といわれる事件である。政治的なブラックパワーが働いていたのだろう。

第四展示室はニセ札工作である。日本軍は貨幣を使った謀略、中国でにせ札を流通させることで、インフレーションを起こさせ、中国経済を混乱させることをねらった。貨幣印刷は内閣印刷局や凸版印刷などを使い、中国国内では特殊機関をつかって、ニセ札をばらまいた。

戦後、陸軍は証拠せん滅をはかり、資料、証拠品は焼却処分にした。登戸研究所の関係者はアメリカ軍との交渉で免責となり、だれも処罰をうけることはなかった。ただし関係者の行っていたことは、心にうづくものがあったのだろう。キャンパス内には、異様なものが残っている。動物慰霊碑や神社がある。大学構内にふさわしいものではないが、登戸研究所の遺構として、明治大学は残している。

関係者は、すべて秘密のこととして墓場までもっていく覚悟だった。ところが高校生が、登戸研究所について話を聞きたいと現れた。若い高校生に出会った関係者は「この人たちには絶対に戦争に行ってはいけない」と思い、登戸研究所の実態について語りはじめた。隠し持っていた資料の提供も行った。これが現在の登戸研究所資料館設立につながった。

参考文献
「高校生が追う陸軍登戸研究所」教育史料出版会
「陸軍登戸研究所と謀略戦」渡辺賢二著、吉川弘文館
「陸軍登戸研究所の真実」伴繁雄著、芙蓉書房出版
「明治大学平和教育登戸研究所ガイドブック」資料館で配布
映画・熊井啓監督「帝銀事件」

資料館ホームページ
http://www.meiji.ac.jp/noborito/

レクチャツアーは随時行われているようだ。外部者はホームページから申し込めば参加できる。車イス利用者は、エレベータでキャンパスまで行けるが、途中に階段があるため、介助が必要である。






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最終更新日  2014.07.20 13:53:17
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