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「鶴見みどころガイドの会」の案内で総持寺に参詣した。鶴見駅西口から横浜方面へ数分。総持寺の参道に出る。参道の前に鶴見線の「本山駅」があったが、鶴見線が延伸して鶴見駅まで伸びたので、この駅は廃止。ホームは残っているが、現在はバスの駐車場になっている。参道に入ると、高い杉木立になり、深山幽谷のようになり、修行の道場の中に入った気分になり、身は引き締まる。 石川県輪島市の総持寺は明治31年火災にあい、本山再建に、横浜と東京の間の鶴見に移転。輪島市は祖院として再興された。鶴見にあった寺から土地を寄贈され、 笠原一男先生の「日本宗教史」という大冊をひもといてみると、日本曹洞宗の歴史をみてみると、平安時代末期に中国に栄西が行き臨済禅を日本に伝えた。その後、中国禅が京都、鎌倉に入り、道元が曹洞宗を開いた。栄西、道元は天台僧であったが、道元は天台の教えに疑問を持ち(比叡山では衆生は仏であるとしているが、もともと仏であるなら、なぜ修行が必要なのか。この問いに比叡山の学僧は答えられなかった)、5年にわたって中国で大陸禅を学ぶが、満足が得られなかった。しかし天童山で枯淡な禅を説く如浄に出会い、理想の禅を発見、座禅こそ仏法の正門、只管打座(しかんたざ)を説くようになり、越前に大仏寺を開いた。大仏寺を永平寺と改め厳しい修行を行い、専門の出家者を排出した。道元は、 さて参道から山門を抜けると右に三松閣という巨大な建物が見えてくる。中は広い事務所になっており、上階は葬儀場、参詣者の宿泊施設である。先に行くと、長大な廊下があり、この廊下は火災時の教訓で作られ、いざという時に廊下を破壊することで類焼をふせぐ施設である。作務の廊下拭きの仕事場である。ぴかぴかに光る廊下には修行者の汗と涙がしみ込んでいる。さらに奥の仏殿と大講堂は、ともかく巨大である。仏殿裏の道を行くと墓地である。京浜工業地帯を開発した浅野一族の墓や俳優の石原裕次郎の墓などがある。 ガイドさんの案内がないと広大な境内を、ポイントをしぼって見学することは難しい。総持寺では一般市民に座禅の教習を行っている。日にちと時間が決まっているので、ホームページから申し込むとよい。また、カルチャーセンターでは1日座禅会などの科目があり、仏教の歴史や、写経などを含め座禅について学べる。 鶴見みどころガイドの会 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.08.03 13:27:27
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