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放送大学の「日本政治思想史」はむずかしい。ボヤーとしていると、いつのまにか終わっており、何を論じていたのか、さっぱりわからない。チコちゃんに「ボヤーっとしてるんじゃない」と怒られそうである。担当教授は原武史さん。 先日の朝日新聞に、原さんを伴っての「廃線ルポ」が掲載されていた。今、地方の鉄道路線の廃線の動きが止まらない。鉄道が廃線に追い込まれる。なぜなのか。日本政治思想と日本の鉄道敷設はからんでいると見るのが、原さんの学問形態だ。JR石勝線は来年3月で廃線に決まった。石勝線は北海道南千歳駅と新得駅を結ぶ。乗客が減り、赤字続きが原因で廃線に決まった。廃線後はバスが代替する。夕張市役所の企画課長は「市民の中にも廃線は反対の意見はあったが、インフラの老朽化、乗客の減少は止まらない」と話し、鉄道の思想史的意味まで思いが至らないようだ。バスの代替という市の施策は、まさにその場しのぎなのだ。鉄道が駄目ならバスで、人の移動という面だけ見ての施策だ。 鉄道がどういう意味を持っていたか。行政で施策を企画する立場にある人が、鉄道の思想的意味を考えていないことが、地方路線の廃線の流れが止まらない原因のようだ。先日のNHKの旅番組でイギリスの古い鉄道路線をボランティア団体が引き継ぎ、運営している様子が紹介されていた。鉄道退職者が市民に鉄道運転の技術を教え、廃線路線をよみがえらせ、その路線で古きよきイギリスのオールドタウンを旅していた。バックに行政施策の応援があると思ったが、そのことは紹介されなかった。もちろん、これには古いものの保存に執念をもつイギリス人気質もあるだろう。建物、街並み、古城が観光の目玉になり、世界から旅行客を集めている。 原教授の履歴が変わっている。慶応高校を出て、普通なら慶応大学へ行くところが、敵の早稲田大学へ入っている。早稲田を卒業して日経新聞の記者(本当は「汽車」になりたかった?)になり、昭和天皇死去に際して皇室担当の部署に行く。初めて宮内省の敷地に入り、東京のど真ん中に緑の広大な森があり、皇居という不思議な空間に気づく。一般市民が入れるところは限られており、ここの情報は皇室記者というスポークスマンに占有されている。情報は宮内省という役所の検閲を受けたものしか、市民に知らされていない。皇居とはどういう場所であり、皇室とは何なのか。そして天皇とは何なのか。新聞記者などやってられない。東京大学大学院法学部政治学研究科へ入って、丸山眞男の「日本政治思想」の著書にかじりつくことになる。いったん地方の大学へ行くが、都心回帰をすぐ果たし、明治学院大学教授になり、今度は放送大学の、目の前に学生のいない、マイクに向かっての教授になる。明治学院大、一橋でも教授してるようだ。 放送大学の「日本政治思想史」は今まで、4人の著名な東大教授によって講義されてきた。江戸の朱子学や自由論やら、大学の教養レベルをはるかに超えた超難解な議論が行われてきた。原教授は高校卒業生のレベルに合わせて「日本政治思想」を描くことを目標にした。1章から3章までは総論とし、4章からは各論にして話を具体的に展開することにした。3章までは抽象的で難しい印象で、4章からは理解しやすくなる。3章でギブアップしてしまうと、もったいない。4章から聞き始めて、最後に1~3章に戻って聞くという作戦にしたほうがいい。 ラジオ講座というメディアを生かして、普段は聞きなれない貴重な音源を流すという工夫もした。政治演説を「歌う」演歌や玉音放送を紹介し、それはどういう政治的意味があるかという分析を話す。 日本政治思想史の本格的研究が始まったのは、昭和14年に東京帝国大学法学部に南原繁により「東洋政治思想史」の講座が置かれたのが最初である。講師は早稲田大学教授の津田左右吉であった。津田は「古事記」「日本書紀」はフィクションであると講義し、右翼団体や国家から攻撃を受け、辞職させられてしまう。引き継いだのは丸山眞男であり、江戸時代と明治時代に絞って講義を行った。朱子学の「自然的秩序」と荻生徂徠の「聖人の作為」させ、「道」は天然自然の理のなかにあるのではなく、中国古代の傑出した統治者である「聖人」が人工的に作り出したと解釈した。 ここでは話を単純化して原教授の日本政治思想の特徴を描いてみる。詳しく知りたい方は、テキストと放送授業で聞いてほしい(放送大学は10月から関東でのFMラジオ放送は中止される。テレビの衛星(BS)放送にラジオチャンネルは移動する。こちらは登録なしで無料で聞ける。番組表はホームページで参照。テキストなしではむずかしい。テキスト理解が攻略の要諦)。天皇の終戦の玉音放送はラジオの放送技術の問題か、聞いている人はほとんど内容は理解できなかった。教材になる玉音放送は修正されているのか、聞きやすくなっている。テキストには書き起こされて文章が提示されている。内容はわからなくても、戦争が終わったとほとんどの人は理解できた。ここに日本政治思想の特徴を見ているようだ。その他に「国体」、「万世一系」と意味不明の言葉が、人々の行動を規定してしまう。 論理と言葉で説明しない、という点が日本政治思想だ。これを丸山眞男は「なる」論理と表現した。この玉音放送の趣旨は、ポツダム宣言を受諾した、ということらしい。原教授は、ここにも「なる」論理がつらぬかれている、と指摘する。 これに対して、西洋政治思想の中核には、ロゴス(ことば)があった。アリストテレスは「政治学」という著書で「人間に独自な言葉は、利と不利と、したがってまた正と不正を表示するためにある。なぜなら人間だけが善と悪、正と不正、その他を知覚できるということ、これが他の動物と対比される人間の特性にほかならないからである。」と述べている。ハンナ・アーレントは「人間の条件」という著書で「政治的であるということは、ポリスで生活するということであり、ポリスで生活するということは、すべてが力と暴力によらず、言葉と説得によって決定されるという意味であった」と表現している。これなど昨今のスポーツパワハラ問題を考えるうえで重要なヒントになる。 言葉を使わない日本政治(権力組織)は国民をどのようにコントロールしたか。原教授によると、視覚的支配と時間支配、あるいは空間支配を使った(スポーツパワハラでは暴力支配だ)。視覚的支配とは何か。ここで冒頭の鉄道が関連してくるが、江戸時代に確立された街道網と明治以降に確立された鉄道網に支配の秘密が隠されている。江戸の家光の時代に、参勤交代が制度化された。江戸にいる将軍は動かず、臣下にあたる全国の大名が江戸を定期的に往復することになる。これが街道網の整備につながる。大名は駕籠に乗っているため、姿は見られない。駕籠の豪華さや行列の長さが視覚的支配のツールであり、街道そのものが政治的な儀礼空間に変化する。本来は街道は、人々が通行する公共空間であるのに、街道を利用する一般の人は土下座しなければならないと思い込まされた。 明治時代に鉄道が開通すると、天皇は「御召列車」で全国を行幸するようになる。このとき天皇は言葉を発しなかった。無言だったが、知らせを受けた行政関係者は仕事を中断して駅へ駆けつけ、畑で仕事をしていた農民は仕事をストップして畑に土下座した。明治になっても江戸の視覚支配は続いた。 時間支配は、今でも残る川越の「時の鐘」にみられる。職人、商家の奉公人の労働時間は、鐘の音で支配されていた。 ここでは身近な現象をみつめることから深い思考へ、思想に高める原教授の鉄道論の一端を見てみたい。「東京と大阪の違い」から私鉄のターミナルの違いというおもしろい考察がある。テキストには東京と大阪の鉄道網の地図が掲載されている。お手元にテキストのない方は鉄道網の地図を用意して(手帳などにも掲載されている)、ご覧いただきたい。じっと眺めても、その違いを発見するのはむずかしいかもしれない。私鉄の駅に注目。関東の私鉄は、新宿、池袋、渋谷、品川という山手線の、つまりJRの駅に接続している。関西の私鉄は難波、梅田、天満橋、上本町とJRの駅とは別個の所に駅が作られている。これは何を意味しているか。 独立自尊ともいえる関西の私鉄網の思想的表現を作ったのは、阪急を創業した小林一三だった。小林は山梨県出身、福沢諭吉の慶応義塾で学んだ。慶応で学んだのは「独立独行だ」と言っている。福沢の「文明論之概略」で「政府は時として変革交代することあれども、国勢はすなわち然(しか)らず。」これは政府が交代しても権力が政府の側にあるという構造自体はかわらない、ということを言っている。利害関係者はお上の周りに集まってくる。一般民衆は権力とは無縁な世界に生きていて、官と民の間には巨大な障壁がある。このことを福沢は「日本には政府ありて国民(ネーション)なし」という名言を残した。小林は鉄道事業を通して、福沢の思想を空間に現出させた。小林が創業した阪急の前身である箕面有馬電気軌道はターミナルを梅田に決めたが、JRの大阪駅の南に、JRとは異なる敷地に、駅名も違う梅田駅を作った。民が官より上にあることを表現したかった。阪急沿線の分譲住宅の開発と宝塚少女歌劇の創設、と沿線の文化にも関わりを持つようになる。 一方の、東急の創業である五島慶太は渋谷を中心に東横線、田園都市線などを推進するが、東大出身の五島は、民には固執しなかった。天下りを採用するなど官とのつながりは強かった。補助金をもらうことに躊躇はしない。もらって当然だ、という感覚である。 東京の私鉄ごとに違う住民意識の話も面白い。西武池袋線の久留米団地、ひばりが丘団地、団地はなぜできたか。これがソ連から学んだもの。西武新宿線の小平団地、滝山団地コミューンとは何か。中央線沿線の文化とは。国立は立川と国分寺の間にできたので国立(「こくりつ」ではなく「くにたち」と読む)は命名が実にいい加減だが、独特の街づくりをしている。一橋大学を中心に学園都市になっている。大学構内は一般に開放され、犬を連れての散歩もできる。若い人向けのブティックや洋書の専門店、出版社など特徴のある店も営業可能になっている。 放送大学の45分授業では、あふれんばかりの内容である。さらに原教授の授業を聞きたい方は、著書へ。新書、文庫を紹介するが、書店で見つからない場合は、公共図書館、大学図書館で入手ください。 「昭和天皇」岩波新書
「団地の空間政治学」NHKブックス {完本 皇居前広場」文春学芸ライブラリー 「レッドアローとスターハウス」新潮文庫 「皇后考」講談社学術文庫 「<出雲>という思想」講談社学術文庫 「「民都」大阪対「帝都」東京 思想としての関西私鉄」講談社選書メチエ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.09.16 13:51:59
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