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花田春兆さんが亡くなって1年半。有志が集まって、その作品展が企画されている。また明石覚一の姿を描いた小説も復刊される。「拙は、まだまだやることがあるのじゃ」と幽冥界で叫んでいるようである。 花田さんは大正14年、大阪で生まれた。脳性まひの障がいでほとんど歩くことができなかったが、俳句と出会い、中村草田男に師事、障がい者運動にも積極的にかかわり、埋もれた障がい文人の評伝を残された。「作品展」では、残された著作、発言等が、著作物、映像、障がい者運動の歴史などを通して紹介される予定である。展示資料はコピー可能で、会場にコピー機が設置される。こちらは有料。 12月1日には荒井裕樹二松學舍大学講師による「“言葉”から読み解く優生思想」という記念講演がある。荒井先生の専門は、障害者文化論、日本近現代文学である(詳しくは後述)。 謎の人物とされた明石覚一の生涯を描いた花田さんの「殿上の杖」が伏流社から復刊される。「覚一」とは何者か。 日本文学の中で全巻通読がむずかしい大長編は「源氏物語」と「平家物語」である。最近、河出書房新社の「日本文学全集」に両方とも口語訳が入った。小説家の古川日出男の「平家物語」は「諸行無常のエンターテイメント巨編」の「完全新訳」と銘打って売り出されている。これで読んでもいいが、「平家物語」は原文で読むのがお勧めである。そして、これは音読が非常にいい。覚一の琵琶語りだからである。日本語がこんなにすごいのか、まさに言葉の万華鏡を味わう思いである。 1960年代後半、東京市ヶ谷の法政大学外濠校舎で杉本圭三郎教授の「平家物語全巻通読」が行われていた。5~6年かかったのではないだろうか。単位ねらいの学生は、ほんの一部しか聞いてないはずだ。出席を取らない授業なので、ニセ学生もチラホラ。この授業が講談社学術文庫に入った。原文と訳、語釈、それに解説が段落ごとに入っている。受験参考書のような作りである。この方が分かりやすい。これがなんと12巻(12冊)である。最近は3巻ごとに1冊にまとめられ、4冊本になった。1冊千円以上するもので、全巻そろえるには1万2千円以上かかることになる。貧乏人には手が出ない。運がいいことに古本屋の店頭にビニール紐で縛られた12巻本が千円で売られていた。即買いであったが、なかなか読めない。 図書館で借りた花田春兆さんの「殿上の杖」で覚一を身に感じると「平家物語」読破への推進力を得たように思う。「こやつが語っているのだ」と思えば、念力を得たようなものだ。春兆さんの覚一はあまり悪が感じられない。まさに理想的な人物として描かれている。風の一というボランティアが覚一の人生を応援する。八坂の姫君の香のにおいを引き継いだ女性との結婚。 覚一と春兆さんが重なるのは仕方ない。辛口の俳句の先生からは「付きすぎ」だという評が来そうである。 さて、その「平家物語」は巻1から巻3は鹿ケ谷の謀議や俊寛があるが、政治的な話で読むのはしんどいが、巻4の信連(のぶつら)からが血沸き肉躍る戦闘場面が始まる。以仁王というバカ殿さまを女装させて逃がした信連は一人で武将として戦う。この辺りが、まさにエンターテイメントとしての面白さなのだろう。 杉本訳12巻本は覚一本である。その最終巻に解説がついている。それによると一方流開山の琵琶法師覚一は、伝えてきた「平家物語」を筆録させて、弟子定一検校に譲与したということが巻末の奥書に記されているという。弟子の中で忘れてしまうものがあれば争いになる、それで書き留めておくのである。他人に見せてはいけないと覚一は書いている。ところが、こんなことは無視されて、いろんな人が書き写した。原本は残っていない。各図書館に残っているのは、こうして書き写されたものだ。基本は変わらないが、人によって書き写しを間違えたところがあり、微妙な違いがある。岩波の古典文学大系は龍谷大学蔵本を底本とし、杉本の学術文庫版は東京大学文学部蔵本を底本にしている。 巻11の壇ノ浦で戦闘は終わるが、覚一は巻12に灌頂の巻を付け加えた。いわゆる大原の場面である。覚一は、この奥書を記した応安4年(1371)に没している。70歳を超えていた。杉本先生によれば「覚一の伝の確かなところは不明であるが、「西海余滴集」や「当道要集」など後代の平曲の伝書が記す琵琶法師の伝承によれば、もと播州書写山の僧で、中年に失明して、如一の弟子になった」とされている。播州とは今の兵庫県南西部である。書写山は園教寺のこと。姫路の近くにある。 「徒然草」で兼好法師は「遁世した信濃前司行長が平家物語を作り、盲人の生仏に教えて語らせた」と書いている。この信憑性はわからないが、ある知識人が色々な歴史書や日記を参考にして、当時の大事件であった平家のおごりと没落の物語を作り、盲人に琵琶を伴奏に語らせ、エンターテイメントにしたのだろう。ラジオ、テレビもない当時、文字を読めない大衆にとって琵琶法師の語りは、楽しみな娯楽だった。禅僧雲泉太極の日記「碧山日録」の寛正2年(1461)3月30日条には、京中で平家を語る盲者の数が5、6百人に及んだことが記されている。 「平家物語」の研究書に角川書店の「平家物語全注釈」がある。冨倉徳次郎という大家が執筆したものだが、その解説に「平曲の歴史」が紹介されている。琵琶法師は琵琶の伴奏で物語を語る盲人の門付芸能だった。その初祖を兼好法師は「生仏」としたが、他の文献では「性仏」としている。性仏-城正-城一と続き、ここで二派に分かれる。城玄(八坂流の祖)と如一(一方流の祖)の二派である。これが14世紀の初めのことであった。城玄は久我家の大納言通行の子と考えられ、こうした高貴の人が盲目であるがゆえに平曲を大きく進展させたとしている。如一については、よくわかっていない。如一の弟子の覚一の活躍の記録は「師守記」に見えて、六条御堂、矢田地蔵堂で勧進平家を演奏していた。当時、統制のなかった盲人社会に琵琶法師の官階、すなわち検校、別当、勾当、座頭の四階を定めたとされる。覚一の没後、一方流は分派を生じ、応仁の乱後、平曲は衰退した。桃山時代に復活したが、すでに過去の古典芸能になっていた。室町時代になると、平家物語は耳で聞いて楽しむものではなく、目で読まれるものになっていた。 さて、覚一のものがたり、興味ある方は、「殿上の杖」を。その上で覚一になったつもりで、声に出して「平家物語」を読んでみよう。意味のわからない言葉にひっからないことがコツである。口語訳を読んでから原文を読むのもいい。朗読CDも出ているので図書館で探してください。 花田春兆 その人と作品展 日時:11月19日(月)~ 12月1日(土) まで開催(11月24日、25日は大学祭で開場) 時間:am11時 ~ pm5時 場所:淑徳大学 東京キャンパス1号館 東京都板橋区前野町6丁目36-4 記念講演 「“言葉”から読み解く優生思想」 講師:荒井裕樹(二松學舍大学専任講師) 日時:12月1日(土曜日)、午後2時開演 会場:淑徳大学短期大学部、東京キャンパス4・5号館 4-2教室 作品展とは会場が違うので注意。 入場無料、希望者は11月25日までに連絡する。 連絡先:電話080-3343-9765、FAX043-272-4100佐々木まで アクセス 東武東上線 [ときわ台]駅南口から 700m 徒歩約10分 ※エレベーターは南口にあります または 北口から赤羽駅西口行き バス「前野小学校」下車 徒歩1分 花田春兆著「殿上の杖-明石覚一の生涯」1900円
(有)伏流社(東京都文京区湯島1-9-10 電話03-5615-8043) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.11.17 21:16:10
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