漱石「こころ」を読む
朝日新聞に「こころ百年ぶり掲載」として、夏目漱石の「こころ」が連載されている。これが契機となり、様々な漱石関連の情報が出るようになった。漱石「こころ」は決して読みやすい小説ではない。文学部の学生でも読んでない人がいる。読むための補助情報が出ている今が読むチャンスである。「こころ」はどんな小説で作品として意義とは何なのか。先日のNHKBSプレミアムで「漱石"こころ"百年の秘密-名作の裏を読むビックリ文学探訪」という番組があった。東京大学の小森陽一さん、作家の高橋源一郎さんなど、一流の漱石読みの専門家が深読み、裏読みを展開し、おもしろかった。一方、小谷野敦さんの「『こころ』は名作か」(新潮新書)という挑発的な本も出ており、世の名作といわれる文学作品をこてんぱんにこき下ろす、近代文学者が真っ青になるような本も出ている。もっとも、この本の「こころ」についての評言は、谷崎潤一郎と武田泰淳の対談の与太話をそのまま引用して、「こころ」は駄作としている。小谷野は、この本を読んでの評なのかは不明である。「精神的に向上心のない奴はバカだ」というような強烈な言葉が出てくる「こころ」とは、どんな小説なのか。大正3年4月に大阪朝日新聞で連載がはじまった。戦後、高校の国語の教科書に掲載され、読まれるようになった。ただし教科書に掲載されたのは、第3部の下の一部だけで、「こころ」の理解に誤解が生じる様になった。あらすじを紹介すると、「上、先生と私」は、鎌倉の海岸で先生に出会った私は、帰京して先生の自宅を訪ねる様になる。先生に不思議な感じをもった私は先生の過去を知りたいと頼んだ。「中 両親と私」は、大学を卒業して帰省すると父親は腎臓病で倒れ、いつ亡くなるかわからない状態であった。先生から分厚い手紙が届き、急ぎ東京へもどる。「下 先生と遺書」、届いた手紙は先生の遺書であった。(以下は、遺書の本文になる)叔父に遺産を横領され、故郷を離れた先生(私)は大学に通ううちに下宿の一人娘の静を愛するようになるが、告白ができない。援助するつもりで下宿に同居させたKに静への恋を告白され、あせった私(先生)は、Kを出し抜いて静との結婚を決めてしまう。Kは、何も言わずに頸動脈を切り自殺してしまう。結婚後、罪を感じた先生は、Kへの墓参りを欠かさず、明治天皇の死、乃木大将の殉死を知り、死を選ぶ。あらすじでもわかるように、この小説は円環構造になっている。下から上へもどるのだ。上は、先生を師として敬うというより同性愛的な感じがする。先生の奥さん(静という名前が与えられ、下ではお嬢さん)との三角関係になる。下では先生とお嬢さん(静)とKの三角関係が描かれ、この二つの三角関係が混沌と描かれる。両方の三角関係で重なっているのは、静である。物静かな、控えめな女性として描かれる静は、下宿人の学士さんと結婚をすることで生活の安定を得られると考えている、プラクティカルな考えの女性である。学士さんなら結婚相手はKでも、先生でも、どちらでもいいのだ。乃木大将の奥さんのように殉死などしない。しかし自分をめぐって二人の男性が自殺していることをどう考えているのだろう。第4部が書かれてないが、書かれるとすれば「静と私」となり、二人の結婚生活が描かれるであろう。女性は強し、である。魔性の女という感じである。Kという頭文字で描かれる男は誰か、ということも問題である。K=金之助(漱石の本名)は、あまりに近すぎる。K=幸徳秋水説が有力である。幸徳は大逆事件をひき起こした人物。求道的という所では、K=清沢満之も考えられる。日本で初めて宗教哲学を追究し、仏教を哲学的に捉えようとした。漱石が尊敬した人物であろうが、名前を載せるのはまずい、と考え、Kとした。上記の人物名に充てはめて、この小説を読むと深みが出てくる。文学者の間で論じられるのは、先生の自殺は不可解、理解できない、というものだ。2013年9月20日、東京大学医科学研究所で行われた「夏目漱石「こころ」-精神医学的考察」と題する、筑波大学教授の高橋正雄さんの講演原稿を入手した。この原稿の要旨は、不可解とされてきた先生の自殺はPTSD,外傷後ストレス障がいという概念を援用することで理解しやすくなる、としている。我が国では、1995年阪神淡路大震災以降注目されるようになったPTSD的精神現象を、大正初期に認識し、作品のなかに具象的に描き出した漱石という作家を評価すべき、と言っている。ここには明治期に漱石が文学作品だけでなく、精神医学、心理学の本を入手(イギリスでの英書か)、それらを読んで理解し、自分の作品のなかの人物像として造形化できていることが示されている。講演では「こころ」の文章のなかから、PTSDの病跡を表した表現を取り上げて説明している。詩人の荒川洋治さんが「百年前の少年」と題して、漱石が、小学6年生松尾寛一君にあてた手紙を紹介している。松尾君は「こころ」の感想を漱石に手紙で送った。この手紙は残っていないが、漱石の返書は、現在、姫路文学館に残されている。「あなたは小学の六年でよくあんなものを読みますね。あれは子供が読んでためになるものじゃありませんからおよしなさい」と書いてある。小学六年の子どもが「こころ」を読むことができたというのは驚きだが、新聞に出ていた、ルビつきの連載小説を一生懸命、百年前の少年は読んでいた、ということなのだろう。参考:石原千秋編集「夏目漱石「こころ」をどう読むか」河出書房新社