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2011年11月11日
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カテゴリ:秋山真之伝記
 「黄海海戦」の9年後、当時の連合艦隊主任参謀秋山真之少佐が、

 自ら筆をとってこれを回想しています。


 『第1合戦は、我が全軍の集合を遂げざる前、

 13時15分より、遇岩の東北において、第1戦隊のみをもって開始せられたが、

 東郷大将の戦法は、日本海海戦の時と少しも異なることなく、例の丁字戦法で、

 その当初の対勢は、第2図(これまで示した図を集約した図)に示した如く、

 理想的絶好ともいうべきであった。



 ために短時間の砲戦に早くも敵陣を撹乱し、著しく打撃の効果を呈し、

 もしこれを持続し得たならば、ほとんどここに敵を撃破することが出来たのであった。


 しかるに、14時ごろ敵の艦々相乱れて重なり合えるに乗じ、

 我が全線の掩撃(エンゲキ、不意打ち)急射、最も激甚なりし時、第1戦隊は知らず識らず、

 敵の西方(すなわち旅順の方向)に回り込んだ。

 ところが、敵はいち早くもこの機をはずさず、山東角の方に向針した。


 
 さてこそと東郷大将はその隊首を転ぜられたが、

 残念、その時機がわずか3分間遅れたため、

 爾後、第2図の終りの如く、我が第1戦隊は敵の後方より随進追撃するの不利なる対勢となり、

 先頭の「三笠」のみ、絶えず敵の集弾を蒙り、

 このままにては到底戦機の発展を見るあたわざるに至った。』


 東郷平八郎司令長官の司令部の判断の遅れから、

 連合艦隊はこの「黄海海戦」において負け戦の様相を呈してしまいます。


 それでは、何故3分の遅れが生じてしまったのか、真之は次のように書いています。

 
 『後日における黄海海戦の評論が、

 主としてこの3分間の遅れをとった点に集中されたが、

 しかし事後の結果を詮索して後日に批判するは容易きことで、

 事前に即断して、未然に適応せしむるはなかなか困難である。


 浦塩(ウラジオストック)に逃してはならぬということは、誰しも銘心していながら、

 また6月23日の轍(テツ)で、旅順に引き返しはせぬかと疑うてみると、

 これもまたやむを得なかったと考える。』





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最終更新日  2011年11月16日 16時23分29秒
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