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2011年12月07日
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カテゴリ:秋山真之伝記
 明治38年5月27日13時過ぎ、

 連合艦隊は、西に針路を取り航行していました。


 連合艦隊司令長官「東郷平八郎」大将の旗艦「三笠」は、

 まだバルチック艦隊を目視で確認できていません。


 12月6日に書いたように、

 連合艦隊は、下図のような位置関係で、バルチック艦隊と対峙する必要があって、

 そのためには、敵艦隊の位置を正確に知る必要があったのです。



 バルチック艦隊の情報は、味方艦から次々と入ってきており、

 北東に針路を取って直進して向ってきている筈でした。


 情報の発信源は、

 第3艦隊司令長官「片岡七郎」中将旗艦「厳島」、

 第1艦隊第1戦隊司令官「出羽重遠」中将旗艦「笠直(カサギ)」

 第3艦隊第6戦隊所属の防護巡洋艦「和泉」

 の3艦でした。


 しかし、情報は錯そうし、バルチック艦隊の予想ルートに食い違いが生じてしまい、

 3つの予想ルート(厳島ルート、笠置ルート、和泉ルート)が存在してしまったのです。


 連合艦隊とバルチック艦隊の距離は、刻一刻と短くなっていて、

 今すぐにでもこれら3つのルートからより正しいルートを選択し、

 それに合わせて、連合艦隊の針路を修正しなければなりません。


 この時、連合艦隊の司令部は極度の緊張状態にあったでしょう。

 参謀長の加藤友三郎少将や、先任参謀の秋山真之中佐から、

 『つまり(バルチック艦隊は)どこだ』

 と、問い詰められ、舞い上がってしまったのは、

 無線担当の参謀「飯田久恒(ヒサツネ)」少佐でした。


 飯田は、正解の和泉ルートでは無く、厳島ルートを選択してしまったのです。

 その理由は、情報源である3艦の中では、厳島に最も位の高い将官が乗艦していたからというものでした。


 13時31分、戦艦「三笠」は、南南西に針路を変更しました。

 その8分後、三笠はバルチック艦隊を発見することになります。





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最終更新日  2011年12月08日 01時31分15秒
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