呉善花「韓国併合への道 完全版」
豊田有恒「韓国が漢字を復活できない理由」とセットで読むと、さらにおもしろい。新羅、高句麗、百済の昔から冊封体制に組み込まれて、歴代支那王朝に隷属していた半島の王朝は支那の統治機構を模倣して、李氏朝鮮の頃には本家支那以上に官僚が牛耳る、極端な文治主義、中央集権主義に陥っていた。李朝の官僚には支配階級の両班が就くが、同じ両班でも武官は下に位置し、圧倒的に文官優位の官僚機構となっていた。軍事においても指揮命令系統はすべて中央に置かれ、最高指揮官には文官が就いたため、勢い、軍事力は弱体化し、豊臣軍に簡単に首都漢城を落とされ国土を蹂躙されたのも、それが大きな原因であった。19世紀に至り西洋列強の圧力を受けて以来、日清露三国の間を揺れ動いていた李氏朝鮮は、内部では相変わらず権力闘争を繰り広げていた。いまだ華夷秩序の世界観を捨て去れずにいる李朝は、すでに列強の草刈場と成り果てている清を恃みとして、ますます世界に取り残されていく。ロシアの南進に常に脅威を感じていた日本は、半島がロシアに丸呑みされることを最も恐れていた。李朝には一刻も早く近代国家に脱皮してもらわねばならない。そのためにさまざまな援助を施し内政改革を促したが、王妃暗殺事件が契機となって李朝政権はロシアの手に落ちた。その後は大韓帝国成立、日韓合邦運動から日韓併合に至る。