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マックス爺のエッセイ風日記

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2008.01.21
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<東平安名岬にて>

 三角形の右端、東平安名岬の折り返し点から大勢の選手が戻って来る。その大半はスタートしたばかりのハーフマラソンの部の選手達だ。多分トップグループは既に去って、遅い人達のようだ。中には1.5mほどの巨大なゴーヤを頭から被っている仮装ランナーがいた。風が強いために頭を抑えながら走っているゴーヤマン。あれで本当にゴール出来るのだろうか。

 あのうちの相当数を後で抜けるのではないか。そんなことを密かに考える私。帰って来るランナーの中に、60km付近で抜かれたストロングウーマンが居た。差は往復で2kmほどか。「ワイドー!」私のエールに先方も「ワイドー」と返す。結構ノリの良い人だった。彼女の姿を見たのはそれが最後になった。きっとあのままのスピードを維持しながらゴールしたのだろう。

 行く手に巨大な岩があり、何か看板が出ている。わざわざ見に行くと「マムヤの墓」とある。琉球王朝時代、城辺(ぐすくべ)で一番の美女マムヤが首里から監督に来た役人を好きになった。だが役人には首里に奥方がいる。夢破れたマムヤはついに東平安名岬から身を投げ、哀れに思った村人はマムヤを岩窟に葬ったとある。宮古島の民謡「なりやまあやぐ」の中でも歌われた話だろうか。

 ようやく灯台まで到達。この付近に老夫婦が立っていた。観光客だろうと気にも留めなかったのだが、ここでおばさんランナーさんご夫妻が応援のために待っていてくださったことを、後になって知った。ナンバーは知らせていたが、お会いしたのは5年前の「しまなみ海道」のレース中で、十分顔が分からなかったのだ。

 少し行くと走友会の仲間が3人車から降りて道端に立っており、Y川さんが写真を撮ってくれた。厚かましくも食べかけのソフトクリームを無理やりもらう。「私のソフトクリーム!」。Eちゃんが叫ぶ。だがそうではなくY川さんのソフトクリームはほとんどがコーンだったのが残念。岬の入り口までは往復で4kmほどか。ここが結構長く感じた。コスモスの咲く入り口を左折して、いよいよ三角形の底辺に突入する。

 緩い坂を登り、歩いているブラインドランナーに追い着く。1対1の組と1人で2人の伴走をしてる組。「ファイト~!」声を掛けながら抜き去る。「100kmの人?」ブラインドランナーの質問に「しっかり走ってますよ」と伴走者。実はもうヨレヨレなんだけどねえ。この後も歩き出したハーフや50kmの部の選手を次々と抜いて行く。

 85km付近の保良(ぼら)ガービーチ通過。ここには昔倭寇(わこう)の基地があったと、先日読み終えた本に書かれていた。字は忘れたが、中国の史書に<ボラ・ミヤク>の名があるようだ。宮古島に内地の地名や人名が結構多いのはそのせいだろうか。90kmのASでバナナを2切れ食べ、ボトルにヴァームと塩を補充。ここで10時間57分。11時間台でのゴールはかなり難しくなった。

 それでもひたすら前進あるのみ。坂道でも決して歩かない。坂道の途中で女性ランナーが立ち止まっている。50km手前で抜かれた仙台明走会のI藤さんだった。顔色が青い。「行くぞ!」一声かけて前へ出る。ゴール後に聞いたら途中で何度か吐いたとか。経験が浅いためにオーバーペースとなり、さらに暑さで水を飲み過ぎ胃の機能が低下したのだと思う。

 坂の頂上には60km過ぎに抜かれた140番台のランナーがいた。「ついに捕まったか」彼が一言。前日も100kmを走ったのだから疲れるのは無理も無い。彼を抜いた後で必死に名前を思い出す。ゼッケンナンバーから東京か神奈川辺りかも知れないと思い直す。そうなると横浜のT下さんしかいない。そうだ「秋田内陸」で4度ほど同じ宿になり、その後も「しまなみ海道」や「奥武蔵」で会ったT下さんだ。彼なら何度かレースで抜きつ抜かれつしてるので、私の走り方を知ってるはずだ。<続く>

 

 





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Last updated  2008.01.21 17:33:32
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