カテゴリ:ウルトラマラソン(未)完走記
「薬莱山へは自転車で行きたいんだけど。ただし雨ならダメと言う条件で」。走友会の幹事役であるKさんにそう申し出たのは、Hさんの結婚式の時だった。だがKさんは「分かった」とは言わなかった。「車で薬莱山に行って、向こうから逆走したら」。私の体調を心配しての提案だったのだろうが、それは無理なのだ。第一私はまだ走ることが出来ないし、車で行けば何のトレーニングにもならないからだ。
申し込みの締め切り日まで、ついにKさんへはメールしなかった。自分でも自転車で往復する自信がなかったのだ。老犬との朝夕の散歩以外はほとんど運動らしいことはしておらず、しかも肩に痛みがあった。マウンテンバイクの場合は、肩に相当の衝撃が加わる。ずっと前傾姿勢を保つ必要があるからだ。それに例え自転車でも、果たして真夏の暑さの中で110kmを往復する体力が今の自分にあるだろうか。 「ひょっとして死ぬかも知れない」。正直そんな思いが胸に過った。だが無事帰宅するために自分がやれるのは何か、それを考えるのが先決だ。先ず体力を少しでも向上させるために考えたのが、速歩きや体操など7つのエクササイズ。そして肩の痛みを和らげるため、整骨院へ行った。整骨院の先生は若いのだが腕は確か。だが私が不整脈で2度手術をし、右足が筋膜炎であることを告げると、彼の表情は曇った。 「薬莱山とお足」は、県内のウルトラマラソン愛好者団体「宮城UMC」の合同練習会で、毎年8月に開催される恒例行事。各走友会ごとにスタート場所と時間を決め、12時までに薬莱山の中腹にある「薬師の湯」に到着するのが唯一のルール。我が走友会は3時に仙台市体育館をスタートするのがこれまでの恒例だった。それを今回は自転車でと思ったのだ。どんな形であれ今の自分に出来そうな冒険は、これしかないのだ。 私はこれまで9年連続で完走していたのが誇りだった。そして自転車で走るのは初めてではなく、最初の参加の際にコース確認のため、やはりマウンテンバイクで往復したことがある。さて、必死のエクササイズと整骨院での施療が効いて、体調は飛躍的に良くなった。だが自転車で行くことは誰にも告げなかった。妻はその日、関西方面から帰宅する予定。問題は暑さに弱い愛犬を、日中どこに繋ぐかだ。 出発時間は5時と決めた。途中の休憩や給水を入れて、片道に約5時間はかかると計算。出来るだけ早めに山に着いて体を休め、帰路の体力を養おうと考えたのだ。当日の朝は4時前に目が覚め、先ずブログに「大冒険」に旅立つことを宣言。愛犬との散歩はまだ暗い中だった。帰宅後餌と水を与え、涼しそうな裏庭の樹陰に彼を繋いだ。 バケツには1日分の水。そして首には保冷剤。それで何とか猛暑に耐えてもらうしかない。頑張れマックス。俺も1日頑張るからね!!朝食は予め何を食べるかメモしていた。だが愛犬の世話に思いのほか時間がかかり、朝食を終えてマウンテンバイクでスタートしたのが5時35分。よほど慌てていたのか、血圧降下剤を飲むのをすっかり忘れていた。 既に空は明るく、ペダルを漕ぐと風が爽やかだ。約半年間運動らしい運動をしていない私だが、この大冒険を無事に終えるため、細心の注意を払う必要がある。その緊張感が私の全身を包んでいた。荷物はハンドルに結わえつけた。これは少しでも汗をかかないための工夫。両足には偏平足用のサポーターを装着した。上は宮城UMCの半袖シャツで、下はハーフタイツ。帽子は宮城UMCのオレンジ色のもの。このオレンジの蛍光色が、仲間としての連帯感を高めるはず。そして首には冷却用の布。 ボトルキーパーには、スポーツドリンクにアスリートソルトとサプリメントを加えたペットボトル。赤信号で停まった時に、これで随時給水するのだ。最初の難関は泉区の将監坂。自転車はトンネルを通れず、階段を押して登るしかない。東北道の地下通路を潜り富谷町へ。ここまでに1時間15分ほどかかっている。田圃道の先に、3人のランナーが走りながら北へ向かうのが見えた。あれは一体誰なのだろう。自転車から仲間の姿を観るととても興奮することを、今回初めて知った。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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