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マックス爺のエッセイ風日記

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2013.01.09
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カテゴリ:生活雑記
時計 昨日1月8日が「平成」のスタートした日。24年前に昭和天皇が崩御され、「平成」と言う新しい年号が書かれたボードを高々と掲げた小渕さんの姿が、鮮やかに脳裏に蘇る。その小渕さんもその後亡くなった。平成も早や25年。沖縄との付き合いも、平成元年に始まった。もう1年で四半世紀に達するのだ。びっくり!

メールする 奥様の代筆で届いたSさんの年賀状だが、その後「寒中見舞い」が届いた。暮れの24日に80歳で永眠したと書かれてある。丁寧な文章と丁寧な毛筆のあて名。奥様も80近いだろうに、とてもしっかりした対応に感心した。Sさんとはわずか1年の付き合いだった。専門が違っていた彼を、上司が引き抜いたのだが、翌年他の部署へ異動された。茨城からの39回目の年賀状が、とうとう最後のものになった。合掌。ぱー

ポスト 石川のNさんからも年賀状をいただいた。今年87歳になられる由。もうすぐ米寿のNさんは、この度引退したゴジラ松井が卒業した中学校の校長先生。私が石川の職場に転勤した時は、校長を辞めて小さな博物館の館長をされていた。何度か訪れた縁で、私も土地の方を相手に歴史の話をさせていただいたことがある。山奥の沼に子供達を引率し、モリアオガエルを観察させているNさんの姿も何度かお見かけした。ダブルハートバイバイ

ノートえんぴつ 昨年は確か年賀状が届かなかったはず。それで住所録から消したのだが、今年再び届いた年賀状には「私の元気な様子を知るのが楽しみ」と書かれていた。慌てて年賀状を出したのは言うまでもない。穏やかな人柄のNさんから、中学生時代の松井の話を何度か聞いた。当時からしっかりした少年だったようだ。Nさんの自宅にお邪魔したことも、今は懐かしい思い出だ。家スマイル

カメラ 広島のIさんの年賀状には、巨大なタイを差し上げた姿が写っている。きっと日本海で釣り上げたものだろう。その釣りも、最近では数えるほどしか行かないと書かれていた。彼は8番目の職場の同僚。担当は異なっていたが、オーストラリアへの出張は、ほとんど彼が準備をしてくれた。暮れにはドイツ語で「第9」を歌った由。相変わらずボランティア活動を続けているともあった。音符

音符キスマーク 大学時代の後輩であるT君も、年末にドイツ語で「第9」を歌ったようだ。だが、その直後に入院し、ようやく退院したばかりのようだ。自衛隊員だったが洒脱な男で、いつも笑っていた学生時代の彼。「三が日 伏して夢みた 粋な恋」。年賀状には冗談とも本気ともつかない俳句が書かれていた。入院中の病院に素敵な看護師さんでも居たのだろうか。おとめ座きらきら

荒波 津波で店と工場を失った高校時代のクラスメートSから、2年ぶりに年賀状が届いた。彼が住むのは港町。自宅は高台にあるが、船具店は海岸沿いにある。きっと昨年は年賀状どころではなかったのだろう。今年はいつもながらの明るい文章。何とか生活が落ち着き、「古稀」を祝う会で再会できると良いのだが。スマイルバイバイ

ショック? 大学の後輩のSさんは山手の団地に住んでいる。そこは地震で地盤が崩れたところ。ひょっとして彼女の家も大きな被害があったのではと心配していた。今年も年賀状が来ない。やっぱり何かあったのだと思っていたら、遅れて届いた年賀状には「昨年入院した母親が薬の副作用で再起不能になり、目下介護生活中」とあった。生きるための戦いはまだまだ続きそうだ。頑張れSさ~ん!!病院

カメラ 走友会の仲間Eちゃんからは、年賀状ではなく、写真が入った封筒が届いた。昨年の7月にあった走友会仲間の結婚式に出た時のもの。あの頃私は体調が悪く、全く走れない状態だった。だが写真の私はそんなことを感じさせない満面の笑み。忘年会に参加出来なかったため、わざわざ郵送してくれたのだと思う。その彼女も、「昨年は体調が悪かった」とある。そして今年は「仙台国際ハーフ」を目標にするとも。一緒だねEちゃん。俺も故郷の街を初めて走るのが今年の夢なんだよ。マラソン足跡
 





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Last updated  2013.01.09 06:09:24
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