カテゴリ:旅、温泉
≪ 越後湯沢から河口湖へ ≫
大興奮で帰途につく。たまたま長岡市の観光情報をネットで調べて行くことにした新潟県立歴史博物館だったが、展示の内容までは分からなかった。それが本を読んで名前を知っていた縄文時代の石器や土器を、直接自分の目で確かめることが出来たのだ。偶然にしては余りにも大きな収穫だった。 それに越後国が当初はかなり小さなもので、現在の新潟県の大部分が越中国だったことも驚きだった。だが、佐渡島は一時期を除き一国として独立していたのだ。長岡駅から越後湯沢まで、上越新幹線に乗る。越後湯沢は北陸へ向かう「ほくほく線」の乗り換え駅。石川勤務の時に、何度かこの駅のお世話になっていた。 雨の中、越後湯沢駅から歩いてホテルへと向かう。ホテルの入口で、「ここは前に来たことがある」と妻。最低の料理だったと不満を漏らす。だがそれは安いバスツアーでの話。今回は全然違うと私は読んでいた。案の定料理はかなり良かったし、温泉も気に入った。妻が眠った夜中に抜けだし、屋根に当たる雨の音を聞きながら入る露天風呂は最高だった。 雪の越後湯沢 翌朝は雪。駅までホテルのマイクロバスで送ってもらった。「雪が多くて大変ですね」。私が言うと、「ここは4mくらい降りますが、雪がないと困るんです」と運転手。湯沢のホテルは、どこもスキー客で持っているのだ。なるほどねえ。きっとそれが雪国で生きる人の本音なのだろう。 信越線の線路工事 駅の一角に写真コーナーがあった。上越新幹線誕生20周年記念事業の一環のようだ。その中には古い時代の写真も。私はかつての線路工事の写真に見入った。鉄橋ではなく木製の橋の上を通る機関車。大正時代の風景だろうか。工事もほとんど人力が頼りだった感じ。こんな苦労を重ねながら、日本の各地に鉄道が敷かれて行ったのだ。 高崎で降りて八高線に乗る手や、大宮から埼京線で新宿へ向かう手もあった。だが、急ぐ旅ではないため東京経由で新宿へ行き、そこから甲府行きの特急に乗った。降りたのは大月駅。そこから富士急の特急で河口湖駅へ。河口湖まではバス。宝石博物館の前で降りようとしたら、妻が嫌だと言う。きっと前日に続いての博物館見学では不満だったのだろう。 素早く地図を見直し、対岸の河口湖美術館前で降りて、湖岸を歩いた。今度は富士山が見えないと言い出す彼女。それは湖岸が湾曲していて手前の山が邪魔をしているため。1kmほど歩くと、突然雲をまとった富士の麗峰が目の前に現れた。大喜びの妻。ようやく機嫌を直したようだ。 帰りの富士急は普通列車だった。途中の「都留文科大学前駅」で鳴門勤務時代の部下が、この大学の卒業生だったことを思い出す。徳島からよくもまあこんな田舎町まで遥々やって来たものだ。きっと淋しい思いをしたに違いない。鳴門を離れてもう25年。彼女も今では母親だ。きっとお子さんは大学生か高校生だろう。 富士急の車内1 富士急の車内2 写真は富士急の普通列車。車内には子供が喜びそうな童話「機関車トーマス」などの絵が描かれ、模擬運転席まで作られていた。終点の大月で降り、中央本線の特急で甲府に向かう。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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