カテゴリ:旅、温泉
11月8日土曜日。斑鳩で法隆寺などを観た後、私達は奈良市の平城宮跡へ向かった。私がここを訪れるのは3度目で、今回は19年ぶりのこと。近鉄西大寺駅で降りて、朱雀門まで歩いて行った。2km以上は歩いただろうか。ようやく目の前に朱雀門が現れた。これは昭和63年に復元されたもので、私が見るのは初めてだった。 近づくと威風堂々の建物だ。平城宮跡は平成10年に世界文化遺産に登録された、我が国最初の考古学上の史跡。大正11年(1922年)国の史跡に指定され、平成3年には特別史跡に指定されている。 慶雲7年(707年)元明天皇が藤原京からこの平城京へと遷都した。平城宮は都の北端に置かれ、天皇の住まいである内裏(だいり)と儀式を行う朝堂院、役人が執務する官衙(かんが)からなる。広さは120hで36万3千坪。これは東京ドーム25個半分に相当する。朱雀門はその正面入り口に当たり、羅城門とも呼ばれる。建物の上部に「朱雀門」と刻まれた額が見える。 これが建物の内部。朱色に塗られた鮮やかな柱が眩しい。 そしてこれが廂(ひさし)で、天平時代の面影を偲ぶのに相応しい。11月1日から9日まで、この平城宮跡地を会場にして、「平城京天平祭」が開催されていた。それをテレビで観て、急遽駆けつけたのだ。 これはシンボリックに思えて撮った扉と旗。スタッフの方に聞くと、間もなく東院庭園で行われているイベントが終了する由。 そこで慌ててこの門を潜って中に入り、東院庭園(特別名勝)へと向かったのだが、何せ東京ドーム25個半の広さ。なかなか辿り着かないのだ。それも当然、ここは近鉄の路線が走っており、踏切もある。いずれ2つの駅と線路は地下に潜るようだ。昭和3年(1928年)に発掘が開始され、その結果平城宮跡地であることが判明して順次国有地として買い占められ現在の広さになったが、茫漠たる原野が続く。ついにここで妻の辛抱が切れた。 仕方なく方向を変えて大極殿方面に向かった。ここにあったのが「天平花桟敷」。天平時代の衣装をまとった人形が花の中に立っていた。 こちらも同じで、咲き乱れる鮮やかな花々。 こちらは祭を盛り上げるための企画で、天平時代の衣装を身にまとった貴人達。ひょっとしたら天皇と皇后(妃)、皇太后(母)かも知れないね。 ここが天皇が執務した大極殿(だいごくでん:第一次)で、平成22年に再現された。もちろん私は観るのが初めて。かなり大きな建物だ。屋根の上に鴟尾(しび=両端)と宝珠(中央)が見える。このレプリカについては後述する。なお、第二次大極殿は基壇だけが復元されている。 斜め方向から見た大極殿 こちらは側面から見た大極殿だが、その巨大さが分かる。 大極殿の内部。奥に天皇の玉座である高御座(たかみくら)が見える。 高御座の正面。ここにかつて天皇が座っていた。 宝珠(左)と鴟尾(しび=右)のレプリカ。共に屋根の飾りで、鴟尾は鬼瓦と同じ役割を果たした宮殿用のもの。大極殿の最初の写真で、屋根に乗っている姿が分かる。 欄干の飾り 東寺五重塔の夜景 この後私達は京都へ向かった。だが平城宮跡でかなり手間取ったため、当初予定していた東寺へは入れなかった。真っ暗な空に立つ東寺の五重塔。その陰影を寺の外から眺めただけで終わった。ここでも怒りを爆発させた妻。観光が目的だった彼女に対して、私の今回の旅は歴史探訪と研究のため。その差が出たのだと思う。来年は何の気兼ねもない一人旅が良いかもね。京都駅では無事3日間の旅を終え、祝杯を上げた私だった。<完> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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