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マックス爺のエッセイ風日記

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2017.09.12
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カテゴリ:芸術論
<映画『関ケ原』を観て>

  

 映画はいきなり戦闘の場面から始まったような気がする。「気がする」と書いたのは、頭痛がしていたからだ。緑内障の私は物が見え難い。左右の目の焦点距離が異なるため、二重に物が見える。映画館のあんな大きなスクリーンでさえ、よくよく目を凝らさないとはっきりしない。きっとそんな微細な作業が血圧を上げ、頭痛を惹起したのだろう。


        

 関ケ原。日本人ならその名を知らないものはいないだろう。古代からの交通の要衝で、早くから関所が置かれた。北陸道の愛発の関(福井)、東海道の鈴鹿の関(三重)とならぶ三関の1つである東山道の不破の関が置かれ、壬申の乱でも大海人皇子(後の天武天皇)がこの関を通った。新幹線ならあっと言う間に通過する狭い地峡の盆地が、天下分け目の戦いの舞台になったのも頷けよう。


  

 ここで東軍の徳川家康と西軍の石田三成が戦ったことを誰もが知っている。そしてどっちが勝って天下を取ったのか歴史が定まっている。だが、その戦いの実態を知る者はさほど多くないのではないか。豊臣家に対する忠義。次の天下人への貢献。勝てば大名にも取り立てられ、負ければ御家断絶と浪人生活が待つ。正義と野望の戦い。積年の恨みを果たす場が関ケ原でもあった。だが天下分け目の戦いは、わずか6時間で終わった。


          

 裏切りもあった。傍観もあった。戦わずして逃亡した武将もいた。皆生き残り、「家」を存続するために必死だったのだ。映画は淡々と戦いを描く。へえ~っ、こんな歴史の描き方もあるんだなあと感心しながら観ていた。しかし歴史をこんな風に描ける小説家は一体誰なのだろう。しかも殺伐とした殺し合いの中に、密やかな恋まで散りばめているとは。


  

 岡田准一演じる一途な石田三成が良かった。役所広司演じる老獪な徳川家康も良かった。平岳大演じる三成の側近島左近がさらに秀逸だった。この戦いによって戦国時代は幕を閉じ、日本は近世へと変わって行く。しかし原作者は何を言いたかったのだろう。時には空から戦う武将達を俯瞰し、時には心の中に忍び込んで、人間の弱さや醜さを暴いた。

 
                  

 映画が終わり、最後にクレジットが流れていた。そこでようやく原作者が分かった。何と司馬遼太郎の同名の小説を、丹念に再現した映画のようだ。それで腑に落ちた。彼なら歴史を描け、人間の本質をも描けるはず。監督兼脚本は原田眞人。彼の作品『日本のいちばん長い日』を観た記憶がまざまざと脳裏に蘇った。なるほど彼なら歴史の真実を描けよう。そんな風に感じた私だった。今もまだ頭痛がしている。





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Last updated  2017.09.12 00:33:10
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