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マックス爺のエッセイ風日記

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2019.06.28
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カテゴリ:芸術論
~法隆寺金堂壁画の復元~

  

 5月24日金曜日。電車を乗り継いで多賀城市にある「東北歴史博物館」を探訪。特別展『最先端技術でよみがえるシルクロード』展を観ようと思ったのだ。歴史に関心がある私がこの博物館を訪れたのは8回くらいだろうか。近くに東北本線の「国府多賀城駅」が出来てからは、とみに往き易くなった。

             

 今回の特別展に惹かれたのは、「最先端技術」ではなく、「シルクロード」。私にとっては永遠の課題で魅力あるテーマ。そしてその再現となれば、きっと撮影も許されるはず。それならば自分の関心と共に、ブログネタにもなるだろう。その「読み」は半分当たった。では残りの半分は?まあ、結論は急ぐまい。たとえどんなにわずかでも、自分にとって何か収穫はあるはずだ。

  

 それにしてもシルクロードがどう復元され、私たちの前にどんな姿を見せてくれるのだろう。いつものように100円引きのチケットを差し出し、ワクワクしながらの入場。ポスター、建物、展示物など撮影が可能なものすべてにカメラを向ける。

  

 先ずは法隆寺金堂の壁画および仏像(釈迦三尊像)の復元コーナー。中学校の修学旅行以降、法隆寺にに行ったのは70歳を過ぎてから。聖徳太子縁の寺であることは知っているが、この金堂壁画が戦後火災にあったことを知る人は少なくなったのではないか。写真は斑鳩の地に、五重塔と共に静まる金堂の佇まい。

  

 これが当時の新聞記事。戦後間もない昭和24年1月26日の朝。時あたかも金堂は修復工事中で、国宝の壁画も日本画家である橋本明治ら4班体制で模写作業を続けていた。火災の原因は不明だが、暖房器具の不始末とも言われる。当時小学生だった私の微かな記憶が次の切手だ。

  

 記憶にあるのは左の10円切手。多分当時の封書は10円だったのだろう。右の80円はかなりの高額なので、小包などにしか使わなかったのではないか。どちらも国宝の壁画が被害に遭って以降の発行だと思う。

       

 ネットにはこんな画像があった。金堂壁画の絵葉書に、10円と80円用の切手をセットにしたもの。マニアにとっては恐らく垂涎ものの「お宝」なのだろうが。なお壁画は焼失した訳ではない。高熱で色彩が消えたものの、姿は残った。そのため「焼損」とされている。それを化学処理して保存し、金堂から別の場所に移動保管してある。

  

 昭和42年(1967年)から再び壁画再現のための作業が開始された。今度は実物大の写真に、焼損前の状態の色付けだ。橋本明治、安田幸彦、前田青邨、平山郁夫など錚々たる日本画の大家4班による作業で、翌年には完成し金堂の元の場所に据え付けられた。今回はそれとは別に、東京芸術大学などによる最新技術で壁画とご本尊の釈迦三尊像を再現するもの。名作を手軽に鑑賞するための方策でもある。

  

 これは会場でもらったパンフレットを撮影したもの。焼損前の壁画がとても良く再現されているように感じる。以下は当日会場で撮影したもの。照明や手振れのため、あまり良い写真でないかも知れないが。

  

          

  

          

  

          

  

          

 国宝の壁画原画、原寸大の写真に著名な日本画家が色付けした再現壁画、そして今回の最新技術によって再現された壁画。金堂内に入れない私たちにとっては、これでも十分感動出来と思う。ところでなぜ「シルクロード」なのか。それは法隆寺金堂壁画がアジャンター石窟壁画(インド)や敦煌莫高窟壁画(中国)に匹敵すると目されているためだ。人類全体の貴重な文化財継承のためにも、極めて重要な研究と言えよう。<続く>





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Last updated  2019.06.28 00:00:18
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