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マックス爺のエッセイ風日記

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2020.04.26
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カテゴリ:歴史全般
<五族共和~満州国の夢と興亡~>

   

 右の少年が清国最後の第12代清国宣統帝となった愛新覚羅溥儀(満州名1906-1967)で即位したのは2歳の時で、在位はわずか4年間だった。彼は後に日本の後押しで満州国皇帝となる。腕に抱かれているのは弟の溥傑で彼は日本の陸軍士官学校を卒業後、日本の華族で天皇家の親戚筋に当たる嵯峨浩と結婚した。長女慧生は戦後天城山で日本青年と心中する。

   
     <満州国執政官着任式>     <満州国皇帝即位式>

 1922年満州族の婉容を皇后にして紫禁城内で結婚。1924年クーデターの北京政変により紫禁城より追放処分。1932年満州国執政となる。1934年まで。1934ー1945年満州国皇帝。1945終戦により廃位。1960-中華人民共和国政協専門委員。1964-1967同全国委員兼任。1967年波乱に富んだ生涯を閉じる。享年61歳。中国及び満州のラストエンペラーだった。

     

 1927年蒋介石率いる国民党右派が毛沢東率いる中国共産党を弾圧して南京政府を樹立。いわゆる「上海クーデター」だ。

  柳条湖事件   

 孫文の後継者と目される張作霖が満州でも破壊工作を展開する。それ以前に満州には匪賊(ひぞく)馬賊と呼ばれる野盗が2万6千人ほどいたが、これに対して日本の警察官は2千人しかいなかった。乱れた治安を安定させるために関東軍が置かれたが、関東軍の若手将校が陸軍の制止を振り切って、張作霖が乗った列車の爆破を図って爆死させる。これが別名「満州事変」と呼ばれる柳条湖事件で、列強が調査団を現地に送った。

   満蒙開拓団

 1932年。満州国の誕生後、日本は満州に開拓団を送った。広大な荒れ野を開拓して畑にし、大量の肥料を散布して大豆を作らせた。茨城県の旧内原町には、青年開拓団の講習所があり、長野県のある村では、村民の全てが満州に渡って開拓した。満州は貧しい日本の農民にとっては夢の国で、日本政府は満州を立憲民主制の国家と吹聴し、五族共和を唱えた。

          
                  <日本併合以前の朝鮮の農村>

 五族とは、日本、満州、漢民族、朝鮮族、ロシアだろう。日清戦争の結果清国から独立した大韓帝国は日本との併合を議会で決議し、日本は朝鮮の民主化と近代化を推進した。身分制度の撤廃、教育制度の確立と識字率の向上、衛生状態の改善、鉄道敷設と産業育成などだ。満州、朝鮮、台湾経営はすべて日本の持ち出しで、搾取するものがとんどなかった。それを植民地支配と言うだろうか。<続く>





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Last updated  2020.04.26 00:00:10
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