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マックス爺のエッセイ風日記

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2021.05.06
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テーマ:★人生論★(325)
カテゴリ:人生論
~罪のない者がまず石を投げよ~

                

 さて生と性などをテーマにしたこのシリーズを、苦しみながらも書いて来た。さて、それをどうまとめようか迷っている。今日を最終回にする積りなのだ。先ずは煩悩に苦しんだ先人のことを書こうか。

  

 これはある夫婦。男の名は岡本一平。漫画家である。女の名は岡本かの子。その妻で女優。だが不思議なことに、彼らの家にはもう二人男が同居していた。一人は京大生で、かの子の恋人。もう一人は夫婦の息子の太郎。後に「芸術は爆発だ」で有名な芸術家となる。一平はかの子の恋人の同居を許した。天衣無縫と言うか、破廉恥と言うか。そんな自由な家で育ったことが、彼の芸術に影響したのかも知れない。

                  

 島崎藤村は詩人であり、小説家だった。ある状況下で、彼は姪と関係して子を生す。それを描いた小説が「新生」。部落問題を描いた「破戒」も有名だが、彼は長野から逃れるように東北に来、わが母校の東北学院に勤務した。他に小説「夜明け前」や詩集「落梅集」がある。小説には麻薬の要素があるが、特に私小説ともなればその色は濃く、作家の苦悩もさらに深まる。

  

 夫との間に子がありながら、家族を捨て恋人と出奔した女がいる。その名は瀬戸内晴美。やがて著名な小説家となり、源氏物語の現代語訳を出すなど活躍。後に小説家であり天台宗の僧侶でもあった今東光の得度で尼僧となる。卒寿を過ぎた今も尼僧と小説家の二足の草鞋を履いている。

            

 聖書の話である。パリサイ派の長老たちが一人の女をイエスの前に連れて来てイエスに問うた。女は姦通した罪人。「さて、この女をどう罰しますか」と。そこでイエスは答えた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、この女に先ず石を投げなさいと」。パリサイ派の長老たちは皆口をつぐんだ。(ヨハネによる福音書第8章3~11節)

  

 不思議な男がいる。500もの会社を興し、経営が軌道に乗ったらそれを他人に任せた明治の経済人渋沢栄一。大河ドラマ「青天を衝け」の主人公だが、彼には妻以外の女性との間に出来た20人もの子供がいたようだ。いわゆる妾(めかけ)だが、当時の日本では社会的通念の範囲として許されていた。妻を4人まで持てたイスラムどころの騒ぎでないが、平等に愛し養うのはむしろ「男の甲斐性」だったのだ。

              国宝「合掌土偶」  

 さてもう一つの命題である死についても記さねばなるまい。神の怒りに触れてエデンから追放された人間は、同時に「死」を受容する存在となる。縄文時代の平均寿命は40に満たなかった。原因は出産による母子の死亡率が高かったこと。このため縄文人は家族の長寿と繁栄を願って土偶を作り、人の代わりに破壊し、住居の直ぐ傍に墓を立てて死者の冥福を祈った。深い宗教性の存在が縄文文化の特徴でもある。

  

 「人間(じんかん)五十年 外天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」。信長が本能寺の変で死を覚悟する際に舞ったとされた幸若舞「敦盛」の一節だ。たかだか50年の人生は夢や幻のようだとの意味か。この時信長は満48歳。まさに謡曲通りの死となった。戦国時代が終わり、江戸幕府の泰平の世となっても、平均寿命はさほど変わらなかったみたいだ。

                   

 「村の渡しの船頭さんは今年六十のおじいさん 年は取ってもお舟をこぐときは元気いっぱい櫓がしなる」。これは昭和16年に発表された童謡「船頭さん」の歌詞の一節。60歳でお爺さんだが、第二次世界大戦で多くの兵や国民が死に、平均寿命は下がった。かつて15歳で元服した時代があった。娘は15で嫁に行き、30代で祖母になるケースも珍しくはなかった。つい何十年か前まで、インド人の平均寿命は30代だった。

  

 それが今や日本人の平均寿命は男女そろって80歳を超えた。当然だがその年齢までの生存を約束された訳ではない。かつその年度生まれの「新生児」が生きると予想される「平均」に過ぎない。怖いコロナもあればがんもある。だが、がんの遺伝子がヒトの細胞分裂に作用していると聞く。ヒトは生まれながらにしてがん細胞と共存し、ウイルスと共存する運命にあるのだ。

     

 81歳になるスーパーボランティアの尾畠春夫さんが、「後何年ボランティア活動が出来ますか」と問われて言う。「歳ですからせいぜい50年くらいでしょうか」。何と言うユーモアだろう。彼は今でも毎日家の周囲を8km走り、野草をおかずにして一人で生きている。乏しい年金を節約し、ボランティア活動の資金にしてると言う清貧さ。人間の値打ちは年収でも地位でも年齢でもなく、その志にあることを彼の言動から学ぶことが出来る。<続く>





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Last updated  2021.05.06 00:00:13
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