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マックス爺のエッセイ風日記

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2021.07.21
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テーマ:★人生論★(325)
カテゴリ:人生論
~わが人生論~

  

 メジャー・アナハイムエンジェルスの大谷がオールスター後の試合で第24号ホームランを打った。オールスター後は4連続三振の出だしだったと言う。だが、その後はストライクからボールになる球を掬い上げるように振り抜くと、スタンドに一直線に飛び込んだ由。ホームランボールを拾ったのは相手チームのファンだったが、彼はそのボールをエンゼルスファンの少年にプレゼントした由。

 心温まる話だ。大谷には周りの人を惹き付ける「何か」があるようだ。オールスターの前夜のホームラン競争で大谷がなかなかホームランを打てずにいたところ、花巻東の先輩であるシアトルマリナーズの菊池雄星が近づいて来て、大谷に何かをささやいた。大谷がリラックスしてホームランを量産したのは、その直後だった。まさか緊迫する場面で、高校の先輩が力づけてくれたとはねえ。大谷は「持ってる男」だ。

                     

 誰にでも愛される大谷に対して、この男はどうだろう。6連続休場の後、45回目の優勝を果たした白鵬。全勝同士で対戦した千秋楽。勝った後で取ったのがこのガッツポーズ。私はこの男が嫌いだ。優勝後の「勝手な万歳三唱」や「勝手な三本締め」を土俵上から観客に求めた馬鹿な力士。実は照ノ富士が序二段まで落ちるきっかけを作ったのもこの男だ。

    14日目に変則仕切り

 引退した日馬富士が貴ノ岩をリモコンで殴打し、裂傷を負わせた事件。あの時に日馬富士ををけしかけたのも白鵬だし、膝を傷めている照ノ富士を無理やり正座させたのも白鵬。「モンゴルの結束」を乱す奴を「可愛がった」訳だが、彼らはその重さを知らない。相撲は神に捧げる儀式として始まったが、モンゴル勢とっては、仲間で「勝ち」を分け合う「儀式」だったのだろう。

       白鵬の肘打ち   

 過日開催された「横綱審議会」では、白鵬が14日目に正代に対して取った「変則仕切り」も、千秋楽に照ノ富士に対して取った「肘打ち」と数発の「パンチ」は極めて評判が悪かった由。「あれは相撲じゃない」との意見。「注意」は解除されたが、横綱の品格に疑問を投げかけた白鵬の「無法」だった。

  

 しかし、照ノ富士は立派だった。ここ数場所の「横綱不在」を補って余りある活躍を果たしたし、序二段から復活して3度の幕内優勝と、1度の準優勝を果たした。それも千秋楽まで全勝同士での。あれだけの大けがと内臓疾患(糖尿病と腎臓病)に良くぞ耐え、良くぞ再起したものだ。その努力は力士の見本であり、卑怯な相撲を取らない気高さは、相撲道の神髄だ。彼ならきっと立派な横綱になるはずだ。

                

 その大相撲で不祥事があった。十両の貴源治が大麻に手を出したと言うのだ。彼は双子の兄貴公俊(後に貴ノ富士=廃業)と共に貴乃花親方が育てた弟子。兄は相次ぐ暴力事件で角界を去り、総合格闘技に移った後もレフェリーの注意を無視して相手選手を攻撃し続けたと聞く。残った双子の片割れが今回は麻薬に手を出したと聞いて、元貴乃花親方はどんな気持ちだろう。人一倍相撲道を愛した男だったが。

    草なぎ演ずる徳川慶喜
 
 大河ドラマ「青天を衝く」を、毎回興味を持って観ている。幕末の維新期。人はどんな選択をし、どう生きたのか。今でこそ勝った「官軍」が「正義」とされているが、事実はそんな単純なものではない。岩倉具視は「錦の御旗」を偽造していたし、長州藩は皇居に対して発砲もした。薩摩の西郷や大久保の策謀は並大抵ではなく、明治新政府成立後も藩閥政治で大混乱を来し、下野する者が続出した。

                孝明天皇    

 孝明天皇が長州の横暴に手を焼き、会津藩主で「京都守護職」となった松平容保に宸筆(しんぴつ=天皇の直筆)の感謝状を贈ったことは有名な史実。その事実を知った薩長は、そのことを隠し通す。天皇が感謝状を渡していた相手を攻めるのだから、一大決心を要する。孝明天皇は1867年満35歳の若さで崩御する。死因は天然痘。諡号(しごう=送り名)を贈られた最後の天皇となった。その第二皇子が睦仁親王で後の明治天皇。彼は幼時に牛痘(種痘)を受けていたため、り患しなかった。西洋医学の恩恵を体験した天皇第一号と言えようか。

     ドラマの主人公

 しかし、日本と言う国の奥深さを感じてならない。「士農工商」とは言え、百姓は一番下の身分だ。だが日本には実質上「奴隷」は存在せず、百姓でも志があれば、「読み書きそろばん」が習えたし、幕末には武士にもなれた。一橋侯となった水戸家の九男が有能な男を配下にする。その武士が目を付けたのが「血洗い島」の百姓。それを士分として召し抱え、パリ万博に送る慶喜の度量に圧倒される。

           老齢期の渋沢栄一  

 将軍職を辞した慶喜は、以後水戸、静岡。東京と移転し、一市民として生きる。王政復古と明治新政府樹立の源となった元勲らはそれぞれ立身出世し、早くから貴族に列せられた。だが、慶喜がようやく公爵となって貴族院議員に列せられたのは明治後期で彼は50代になっていた。どうやら勝海舟が足を引っ張っていたと言うのが実態らしい。だが、慶喜はそんなことには頓着せず、カメラや近代的な趣味に明け暮れていた由。

      パリに派遣された篤太夫

 そして慶喜の経済を救ったのは、かつての部下渋沢栄一だった。慶喜は栄一が勧める株式を購入して莫大な富を得ていたようだ。そして二人に共通するのは艶福家であること。どちらも正妻以外の女性との間に20人もの子をもうけている。世の中何が正義で、何が悪かは分からない。人生もまた然り。一体何が美であり、なにが醜であるのか。コロナのパンデミックで、世の価値観は一変した。さて、東京オリンピックは一体どう運営されるのだろうね。





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Last updated  2021.07.21 11:34:35
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