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マックス爺のエッセイ風日記

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2021.09.15
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カテゴリ:スポーツ関係
~パラリンピックが終わっても・・~

   えんぴつ 本文とは直接関係ない写真が一部含まれています。

 パラリンピックが終わってから10日も経つが、なかなかブログに書くことが出来なかった。その理由については述べないでおこう。さて、パラリンピックのシンボル「スリーアギトス」(上)だが、なぜか私には「心」という字に見えてしょうがない。ラテン語で困難に打ち克って前進すると言うのが本来の意味だが、それが「心」と通じるようにも思える。ちょきウィンク

                

 正直言ってパラリンピアンたちの勇気に感心した。重度の障害を持つ選手が少なくなかったからだ。先天性の障害を持つ選手、事故で不自由な肢体となった選手。視覚を失った選手。義手や義足を装着した選手。その姿をテレビで観、声を失うこともしばしばだった。パラリンピックに出場するまでの間に、彼らは一体どれほどの困難と闘って来たのか。考えただけでも気が遠くなるほどだ。

  

 意地悪や嘲笑や無視などは日常茶飯事だったことだろう。そんな中でも生きる意欲を失わず、スポーツを通じて秘められた各自の運動能力が少しずつ開花して行ったのだろう。今回の東京大会は新型コロナウイルス感染症のパンデミックと相まって、障害のクラス分けの審査会への参加すら困難だったに違いない。事実感染の怖れがある障がい者の中には、審査会をパスせざるを得なかった方もいたと聞く。

           

 本来はもっと重い障害のクラスなのに、軽いクラスで出場した選手。祖国の政治情勢悪化のため一時は出場を諦めたアフガニスタンの選手が、その後何とか遅れて参加出来たことも。来日後に不祥事を起こして、参加資格をはく奪された選手、新型コロナに感染した選手や関係者。多くの困難の中にあっても、滞ることなくゲームが進行し、無事最終日を迎えることが出来たのは幸いだった。

  

 競泳や陸上競技では、オリンピック同様に男女混合の種目が今大会から採用された。男女の選手が協力し合うゲームは、困難に負けずに前進するというパラリンピック精神に相応しいと思う。ただ障害のクラス分けの中で「知的障害」と分類され表示されるのはいかがなものか。ただ救いはそれらの選手がインタビューに対して明るく答えていたことだ。

               

 さて今大会で特に印象に残ったことを幾つか記したい。一つ目は自転車競技の杉浦佳子選手(上50歳)。彼女はまだ健常者であったころバイクレースで転倒し、落車の際に重傷を負った。右半身の麻痺と記憶障害と言う高次脳機能障害。それでも負けん気が強い彼女はパラリンピックに出ようと気持ちを切り替え、今大会では女子個人ロードタイムトライアル(16km)で銀、40kmのロードレースで金と2個のメダルを手にした。確かに上の写真でも足が細く、障害の重さが分かる。

   

 女子フルマラソン視覚障害の部では、道下美里さんが優勝した。全盲の彼女は確か20代からフルマラソンに挑戦し始めたはず。視覚障碍者には伴走するランナーが必要だ。徐々に実力が上がる彼女を今回サポートした伴走者は2人。前半の20kmは女性の伴走者が、後半はフルを2時間10分台で走る実業団レベルの男性市民ランナーが担当。

 30km過ぎで2位の選手が給水したタイミングで、彼が「行けるか」と聞き、彼女が「行ける」と答えてスパート。3分差をつける堂々の金メダルだった。道下さんは2時間台の世界記録を持ち、今回は3時間ちょっとだった。障がい者と伴走者を繋ぐロープは「絆」(きずな)と呼ばれ、文字通り2人を結ぶきずなだ。

                   

 パラ陸上女子200m視覚障害T11の予選終了後にハプニングが起きた。30歳の伴走者が大会スタッフに預けていた小箱から指輪を取り出し、ペイラセメド選手(32歳)にプロポーズしたのだ。彼女は喜んでこれを受け、周囲の選手たちも気づいて祝福した由。彼女は4組の4着で準々決勝には進めなかったが、もっと大切なものを得た。2人の祖国は西アフリカ沖にある大西洋の島嶼国家カーボベルデ。

    

 車いすテニスの国枝慎吾選手(上37歳)はグランドスラム車いす部門ではシングルスとダブルスで合計45回の優勝を果たし、史上最多記録を持っている。今大会でも金メダルを取り、パラリンピックで金5(シングルス4,ダブルス1)となった。大会後所属のユニクロから報奨金1億円が贈られた。

 その後全米オープンの車いすの部に出場し、こちらでも優勝した。その渡米の際に乗った全日空機では、パラリンピックでの活躍を祝ってファーストクラスをプレゼントされた由。

       

 その他、車いすバスケットやボッチャでも日本チームの活躍が光りましたね。本当に勇気をもらえたパラリンピックでした。批判もありましたが、私は東京で開催出来て良かったと思っています。批判するのは簡単だし自由。だが困難に打ち克った時、本当の喜びが得られるように思う。ありがとうパラリンピック。そして世界から集まったパラオリンピアンたちよ。次のパリ大会でも頑張ってね。ダブルハートバイバイ

  





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Last updated  2021.09.15 06:31:38
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