下野の三毳の山の小楢のすまぐはし児ろは誰が筍か持たむ
今日から折にふれ、古今東西の詩歌を、皆さんとともに味わっていきたいと思う。我ながら、いいところに目をつけたもんだと思う。もともと好きな分野だし、その気になればネタは無尽蔵、いくらでもあるもんね。現代詩歌を除けば、著作権違反の恐れはないし、ネタ切れの心配もなくて、言うことなしざんすよ。(例えば、万葉集一つとってみても、1日一首紹介していったとして12年かかる!)――ネタの安定供給は確保された。なお、詩歌は「しか」ではなく「しいか」と読むのが慣わしである(受験生は覚えておくよ~に)。そのせいもあって、なんか「のしいか」に似てるな~と思う。・・・そのココロは、これがなくても生きていくのに困らないが、あると楽しい。噛めば噛むほど味わいがあって、滋味豊かである。とりわけ酒類と相性がよろしい、ってなことかな~。さて、その万葉集といえば、なんといっても和歌・短歌の最初にして最高・最大の桃源郷・シャングリラであり、「日本文化とは何か?」と問う時には避けて通れないエッセンスである。やはり、この辺からはじめるのが至当であろう。ジャパニメーションやオタク文化などから始まった世界的な日本文化ブームは、いずれその淵源である万葉集に及ぶだろうと、僕はニラんでいる。その成立過程については多くの学者が研究しており、詳しく言うとなかなか複雑なようだが、簡単に言うと最初の方の巻1・巻2あたりが核(コア)として早くに出来ていたが、これに父・大伴旅人をはじめ当時の有名な歌人たちの家集(今でいう「全集・選集」)の作品や詠み人知らずの作品を加え、庶民の東歌なども採録して、現在伝わる形に編集した(760年頃、一応成立か)のが大伴家持(おおとものやかもち、718-785)であることは確かなようである。グレート・ポエット“ヤカモッちゃん”には深く感謝し、リスペクトしている。それではまず一発目は、万葉集所収の、わがふるさと下野の国(栃木県)の東歌(あずまうた)から。・・・1300年前も、やっぱりナマってました。下野(しもつけ)の三毳(みかも)の山の小楢のす 真妙(まぐは)し児ろは誰(た)が筍(け)か持たむ万葉集 巻14 3424 下野の国の歌下野の三毳の山の小楢のように美しい子は誰の(妻になって、その)食器を持つのだろう(拙訳)註:三毳山:現・栃木県佐野市南東部、東北自動車道・佐野サービスエリアの直近にある。「す」は当時の標準語「ぞ」の訛り。「ろ」は「ら」の訛りだが、複数形の意味はない。現代語で、単数でも「こども」と言うようなものである。「(ま)ぐはし」は、精妙・繊細な美しさを言う。現代語「詳しい」と同語源。