高階貴子 わすれじの行末まではかたければけふをかぎりの命ともがな
小倉百人一首 五十四儀同三司母(ぎどうさんしのはは、高階貴子・たかしなのきし)わすれじの行末ゆくすゑまではかたければ けふをかぎりの命ともがな新古今和歌集 1149 「(あなたの事を決して)忘れはしないよ」(というあなたのうれしいお言葉)の行く末までは頼み難がたいので(いっそ、幸せな)今日を限りの命であってほしいのです。註28日放送のNHK大河ドラマ『光る君へ』のラストシーンは、準主役・藤原道長の長兄・道隆(井浦新)の臨終シーンとなった。道隆が今はの際の苦しい息で、この歌の作者である妻・貴子(板谷由夏)に万感の思いを込めて朗詠した。今年の大河は、どうやら節目節目で和歌によって中締めをする(盛り上げる)構成らしいと見えた。思えばこれは、まひろ(紫式部)がこれから執筆に着手する『源氏物語』と同じである。井浦新は好きな俳優なので、いなくなってしまうのが寂しい。貴子:高貴な平安女性の名は、慣例として有職(ゆうそく)読み(敬意を込めた音読み)にすることが多いが、当時は訓読みだったといわれる。「貴子」の場合も「きし」と読むが、実際には「たかこ」または「たかいこ」(「たかきこ」の音便)などであったと思われる。同様に、例えば式子内親王を「しきし、しょくし」と読むが、当時は「のりこ」と読んだと推測されている。新古今集の詞書ことばがきに「中関白なかのかんぱくかよひそめ侍るころ」(中関白が通いはじめられた頃)とある。中関白とは藤原道隆のこと。恋愛のさなかの恍惚と不安を詠んだ。わすれじ:決して忘れずに気にかける。「じ」は打消しの意思の助動詞。ここでは、道隆が言った言葉の引用(現代文なら「 」の中に入るようなもの)。かたければ:形容詞「難(かた)し」の已然形に接続助詞「ば」が付いたもの。直訳すれば「(あなたの約束が末永く守られることは)ほとんどありえないので」という意味だろうが、やや情緒的に「~頼みがたいので、~信じがたいので」などと意訳することが多い。「難し」は「めったにない、ほとんど(ありえ)ない」「難しい」などの意味。英語の副詞「hard」(めったに~ない)に相当する。「Die hard(なかなか死なない奴)」。現代語でもこの意味で使われる。なお、「ありがたし」も元は同様の意味で、「めったにないほど尊い、優れている、立派だ」といったニュアンスから現在の意味になった。「ありがたきしあわせ」。(と)もがな:詠嘆を込めた強い願望を示す終助詞。「と」は現代語と同じ格助詞。~と願っているのですよ。