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テーマ:本のある暮らし(3190)
カテゴリ:将棋関連本
古いデータを整理していたら、学生時代の、本の紹介文のデータが見つかりました。今は売っていない本かも知れません。
******** 名作詰将棋 有紀書房 著者 二上達也・福田 稔 将棋はインドで生まれ、日本には仏教と同じ頃に伝わったと言われています。最初は大将棋・中将棋・小将棋の三種類があり、そのうちの小将棋が今の将棋の原型となりました。 将棋は知っての通り互いに王様を詰め合うゲームです。王様が全てですから、いくら相手の陣地をかき乱し駒を奪っても、自分の王様が先に詰められてしまっては何にもなりません。そこで相手の王様を王手王手で詰め上げる将棋の最終手順から、新たに生まれたのが”詰将棋”でした。 詰め将棋の歴史は、将棋一世名人初代大橋宗桂が、誕生間もない徳川幕府に献上した『象戯図式』五十番から始まったと言われています。そして江戸時代中期に一つの黄金時代を迎えました。三代伊藤宗看「将棋無双」百番(1734年)と伊藤看寿「将棋図巧」百番(1755年)がその時代の代表作です。 前者の「将棋無双」はその難解な詰め手順ゆえ「詰むや詰まざるや」の別名があることで知られています。また看寿の「将棋図巧」は、第九十八番”裸玉”、第九十九番”煙詰”、第百番”寿”で詰将棋史上永遠に名を残すことになりました。 ”裸玉”は、盤面に玉一枚だけが配置されるという趣向の第一号作として有名です。『1一玉 持駒飛金金銀』の三十一手詰作品で、二号局は昭和十七年に作られました。 ”煙詰”は、盤上に散りばめられた三十九もの駒が詰手順の過程で煙の如く消え去り、詰み上がりは最低限の三枚となる素晴らしい作品です。多くの詰将棋作家が”煙詰”を試みたが成功せず、昭和二十七年に二号局が作られるまで唯一作の地位を保ち続けました。 ”寿”は詰手数実に六百十一手、「将棋図巧」の最後を飾る最高傑作で、「神局」とも称えられている作品です。昭和二十九年に記録が破られる(その時弱冠21歳の作者は雑誌発刊直後に世を去っている)までの二百年もの間、この詰手数は詰将棋作家たちの夢としてさん然と輝き続けたのです・・・・。 現代はその詰将棋の、新たな黄金時代と言えるでしょう。この本には江戸時代の作品から現代の作品までの代表作が収録され、詰将棋の歴史を知るとともにその世界を垣間見ることが出来ます。「三段曲詰・NHK」や十代将軍徳川家治の作など、一見の価値はあるでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年07月16日 23時33分41秒
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