67:鰍沢(かじかざわ)
【粗筋】 ある江戸の商人が身延参詣の帰り、雪道に迷って山中の一軒家にたどりつく。その家にいたのは昔吉原の熊蔵丸屋に遊女奉公をしていたお熊、旅人は一度だけ頃に顔を合わせており、その奇遇に驚く。頬に傷があるのは心中をし損なった傷で、今はその相手の男と人目を忍んで暮らしているという。出された玉子酒を飲んで体が温まった旅人が寝てしまうと、お熊は亭主のために買っておいた酒を出してしまったので買いに出掛けた。 入れ違いに帰ってきた亭主の伝三郎、猟師の出で立ちである。家に入り、残った玉子酒を飲んでいるところへお熊が帰ってきた。草鞋の紐が切れたというので、立ち上がろうとすると体が動かない。お熊が旅人の財布に金があるのを見、玉子酒に毒を入れたのだ。 二人のやりとりに気付いた旅人が壁の破れた所から表へはって出ると、懐から身延でもらった毒消しの護符が落ちた。これを雪と一緒に飲むと体が動くようになったので逃げ出すが、お熊が亭主の鉄砲を持って追って来る。川へ出ると材木を組んだ筏で逃げようとする。筏にしがみつくようにして「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」とお題目を唱えている。そこへお熊がよく狙って鉄砲を放つ。旅人の額をかすめて後ろの材木にピシッ。「今のお題目(材木)で助かった」【成立】 幕末、深川木場の材木商近江屋喜左衛門の家で開かれた三題噺の会において、三遊亭円朝が創作。題は「小室山の護符・玉子酒・熊の膏薬」、また「鉄砲・玉子酒・毒消しの護符」「遊女・熊の膏薬・身延詣り」との説も。なお、原作の幕切れは次のようになっている。「名も月の輪のお熊とは、食い詰め者と白波の、深き巧みに当たりしは、後の話の種ヶ島、危ないことで(ドンドンと水音)あったよなあ。まず今晩はこれぎり」 「白波」が川の波と盗人の意味を掛ける。「話の種ヶ島」も次回の話のもとになるという「話の種」と鉄砲の「種子島」を掛ける。続き物の第1話ということを示している。 落ちはその後工夫されたものであろうが、「お節徳三郎」の下「刀屋」からの引用である。引用ではあるが、ドラマチックな展開をスパッと切って落とす点では、この上ない締めくくりである。 三遊亭圓生(6)の十八番。主人公は囲炉裏で煙にむせ、亭主は毒が回って舌がもつれるという演出を工夫した。鉄砲を構えてから終わりまでの呼吸は息をもつかせぬ見事なもので、撰者も子供の頃息をのんで聴いた記憶があるが、それでも本人は円喬の比べると数段落ちると言っている。 金原亭伯楽が演じたのは、2003年5月4日黒門亭。夏のような暑い日であったが、雪の中の描写が見事で、冷房が入っていたとしても、寒気を感じて脱いでいた上着を着る人がいた。後にある「一言」の素晴らしいという描写もそうなのだが、どこをどう演じたから素晴らしかったのか……芸を書くことの難しさを感じる。先生方に倣って、私も結果論のみを記録(後の一言を読めば納得していただけるだろう)。【一言】 志賀直哉先生を囲んでいろいろの話をしていたとき、先生が、「僕の一生で感心した芸人が七人いた。役者で團蔵、落語家で圓喬……」以下、ズラリと七人の名を並べられた。その時、先生の口から出たのが圓喬の『鰍沢』だった。『鰍沢』が志賀先生を感心させたのも、私が未だに忘れられないくらいの感銘をうけているのも、圓喬の描写力のせいだ。描写というのは、高座でいろいろの人物を描きだす力量のことだ。初め高座にでてきたばかりのときは、圓喬という人の姿がそこにある。しかし、話が進んで、幾人かの人物画あらわれると、それにつれて、いつともなく圓喬の姿が消えてしまって、新助とか、月の輪のおくまとかが私達の目の前にでてきて生活をはじめる。いい女になったり、女が鉄砲を壁からはずしたり、雪をつまんで御符を飲み込みながら、積もった雪の中を一生懸命に逃げて行く新助が、方角も分からずに唯一心に「南無妙法蓮華経」と唱えている姿が次々に見えてくる。喋っている圓喬の姿なんか全く消えてしまっているのだ。「下は名立たる鰍沢の急流……」というと、岩を噛んで流れている急流が目に浮かんでくる。下手な奴がやると、同じことをいっても、喋っている落語家の姿が邪魔になって、急流なんか浮かんでこない。(小島政二郎)●円喬師匠が講座へ上ってしばらくすると、急に雨が降ってきましてね、はて、いましがたまでいい天気だったのに、不思議に思って楽屋の窓から外をのぞくてえと、なに、雨なんざ降っちゃいねえ。高座の師匠のはなしが、ちょうど雨の場面だったんですよ。あの人の『鰍沢』なんてえ噺は天下一品だったね。楽屋で聞いてて、柱に頭ぶつけて目ェまわしたこともある。(古今亭志ん生)