2024/09/17(火)05:41
落語「ち」の14―2:乳房榎(ちぶさえのき):その2:重信殺し(しげのぶごろし)
【粗筋】
浪江は重信を訪ね、下男の正介を連れ出すと、これを脅して師匠を連れ出すようにせまる。6月6日のことで、正介に言われて蛍を見物に出た重信を、茂みで待ち伏せしていた浪江が竹槍で突く。怪我をした重信に斬り付けようとするが、重信も刀を抜いて身構える。隙がないので、浪江は正介に手伝うように声を掛ける。重信も正介を呼ぶ。どちらの言うことを聞けばよいのか分からぬ正介であったが、浪江の方がこちら向きでにらんでいるので、木刀で主人の頭をねらい打った。振り向いたところ浪江が斬り付けてようやく倒すと、正介に急いで寺へ帰り、師匠が殺されたと報告するように申しつけた。
正介が寺へ飛び込むと、小坊主がおっとりと応対に出て、「師匠ならさっき帰って、もう絵を描いていらっしゃる」と言う。いぶかりながら奥へ行ってみると明かりがついている。そっとのぞくと、確かに師匠・重信が龍の右手を描いているところ。描き上げたとみえて、重信と署名をして、落款を押す……と、こちらを向いて、「正介、何をのぞく」
この一言に悲鳴を上げて後ろへ倒れた。とたんに今までかんかんと点いていた灯がふっと消える。この物音に和尚を始め大勢の者が出てきて、なかば気を失っている正介を開放して、灯を付けて座敷へ入ってみる。
重信の姿はないが、最前まで描き残してあった雌龍の右手がみごとに描き上がり、その墨も乾かず、重信の押した印の朱肉がまだべっとりと濡れていた。
【一言】
「乳房榎」は「牡丹灯籠」と同じく、劇化されて度々上演された。私も先年国立劇場で、これを脚色上演したことがある。その時、改めて通読して、今更ながら圓朝の巧妙な構想力と、性格描写のたしかさに打たれた。
圓朝はこの噺を、薄暗い高座で、蝋燭のシンを剪りながら、しとしとと話したことであろう。明治の御代の、おだやかな宵の光景を、まのあたりに見るような気がする。
梅若の縁日、蛍の飛び交う落合の夜、高田南蔵院本堂の闇それらの情景り、高座で話すにふさわしい。
次第に不倫の恋におちてゆくおせき(ママ)の心理も、圓朝の芸によって、聴く者の胸にしみじみとつたわったことだろう。圓朝は、もともと人情噺として、此の「乳房榎」おこしらえたのである。舞台にかけて、役者を動かそうと思ってこしらえたのではない。それを舞台にかけることは、自体無理がある。観客の興味をひくために早変わりをみせたり、本水を使ったり此の「乳房榎」には、上演のたびに、そういうものが附いてども、地下の圓朝は苦笑しているかも知れない。(宇野信夫:大正の震災の後、浅草の常盤座で『乳房榎』がかかった。河原崎権十郎(2)が早変わりを演じ、中村幹尾という二枚目が磯貝浪江を勤めていた、と思い出を書いている)