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カテゴリ:名所
今から50年前位かな?それ以上かもしれない。昭和28年頃か?寄居町の正喜橋は吊り橋だった。 昔の玉淀には船も手漕ぎボートもあった。 これは正喜橋が現代に変わった頃の「玉淀踊り」だそうだ。昭和37年頃 玉淀ダムができるまでは、河原に砂利が沢山あったし、「淀」というくらいだから流れも穏やかで水深が5mとか10mとかあった。すごく深い場所があったけど、今は岩盤が露出してしまってる。玉淀ダムは小学校1年の時に完成したと思う。「同級生のお父さんがつくった」と言って完成後、新潟に引っ越してしまったから。今思えば設計か現場監督だったような。玉淀ダム完成後水量が激減して舟下りもボートも廃業した。これに続いて寄居町の観光が落ちぶれていったのだ。最盛期にはお花見の時期に「ミス東京」を呼んで写真撮影会が行われたり、どういうわけか、自衛隊が訓練に来た。玉淀河原で野営する。大きな鍋でカレーを作っていたのを物欲しそうに見ていたら、カレーを分けてくれた。うまかった。肉なんてバラ肉しか知らないのに大きな塊の肉に「スゲー、うめぇー」とそれしか記憶にない。 寄居町の観光といったら4月の「北条まつり」と「水天宮花火大会」くらいじゃないか?でっかい水車があったってなぁ、ハコモノ行政でできたものだしなぁ。
玉淀ダムゲート全開(2007年9月7日) 玉淀ダムが全開すると玉淀河原はほぼ水没する。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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