メルボルン二世の思い出の中の地方競馬

2009/07/08(水)08:46

日本ダービー

競馬全般(88)

昨日は、7月7日=七夕から七夕賞やスイジン・アマノガワを書いてしまったが…。 7月7日でかいておかなくてはならないレースがありました。 第三十五回日本ダービーのことです。 ダービーは5月の第四週と言う慣例にも関わらずこのダービーは7月7日に行われたんです。 理由は、東京競馬場のスタンド大改築でした。ダービーをずらしたことで、トライアルも全てダービーの日程に合わされ、三月に弥生賞、四月にスプリングステークス、五月に皐月賞、六月にNHK杯が。それでもファンが熱狂したのは、この年の四歳クラシックには、アサカオー・マーチスタケシバオーの三強がいたからで、『根性のタケシバー』、『追い込みのマーチス』『、貴公子アサカオー』と呼び三強を支持し大いに盛り上がっていたレースは『枠順も一番だったしNHK.で行けなかったので、皐月賞の負けと三強騒ぎで気楽になった(競馬に気楽はないが…)ので枠順を生かして 逃げようと決めた』と言う宮本騎手の谷のハローモアーがタケシバオーに5馬身の差をつけ逃げ切った。 弥生賞、スプリングステークス、皐月賞、NHK杯距離延長を意識して待機策をとって三強に適わなかったタニノハローモアーの優勝で幕を閉じた七夕ダービー。新スタンドに十六万余のファンを集め、ダービーだけの売り上げも41億4890万円余だった。あくる日のスポーツ紙の一面をタニノハローモアーのダービーが大きく飾った。昭和43年7月8日 今でも思うことは、スタンド大改築と言う馬に全く関係ない理由で、四歳クラシックレースと言う競馬の根幹レースの日程を安易にずらしてよかったのか?と言うことです。 確かにスタンドを大きくすればファンが入りお銭は入るでしょう。売り上げが全て?

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