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カテゴリ:浪漫街道・歴史の旅
直江公は百姓大名とも言われたそうだが、
しかし面白いものを書いている。 「四季農戒書」だ。 言わば農業の指導書だが、 多分、あまり世に紹介されることはないように思われるので紹介することにした。 「四季農戒書」とは、お百姓さんが一年12か月、 やらなければならないことや、注意したいことを書いたもの。 これは、私の歴史の旅の師匠である井形朝良先生や、 米沢直江会の高森務先生が編集したものから抜粋して紹介する。 これを読むと、鷹山公時代の青苧・漆・綿・紅花などは既に、 直江公時代から定着していたものであることが分かる。 大事なことは、米沢上杉藩が120万石から30万石に厳封されたが、 30万を50万石にする中期ビジョンを立て、それを実現しており、 そのための指導書でもあったように思われる。 マジで面白い。最後まで見てほしい。 1.国王を日月と心得るべし。 地頭、代官は氏神様のように尊び、地主さんは親のように接しなさい。 2.正月5ケ日内は、身分に従って、あいさつ・礼儀をすませなさい。 15日までは必要以上の縄をなっておきなさい。 15日を過ぎればかたい雪になるだろうから、一年中の薪をとり、 橇で畑に肥やしをやること。 夜なべの仕事として、馬の靴、草鞋をつくること。 家主・娘・女房は、糸をとり芋をひねり、男子のきものを作ること。 お茶のみばかりして出歩き、 人の悪口をはやし立てる女房はきっと隠し夫を持っているに違いない、 そんな女房ならたとえ子供がいても離別しなさい。 3.2月半ばの頃は、公役流れ木とり=木流しの原木取り、 弁当持ち人夫などいろいろな役を仰せ つかる筈、 残った人は用水や井戸などの整理をしなさい。 4.朝夕、鋤鍬を使いからむしの苗を植えなさい。 紅花畑の支度をし、吉日を選び種をまくこと。 彼岸の内は、種もみを選び井戸水に浸しなさい。 5.3月、農具をそろえて新しい苗代をこしらえなさい。 やがて田植え前だから、仕付米=とっておいた玄米を求めてきて、女房は白米にしなさい。 3月末には井戸から種子をあげ、苗代にまきなさい。たねやき米=種子の残り焼米を、 代官・地主さんに差し上げ、子供達にも食べさせなさい。 年寄りは歯がなく噛めない場合は、水に浸して柔らかにして食べさせなさい。 それが、思いやりというもんだ。 6.4月、男は夜明けから日暮れまで鍬の先が土にめり込むほど、田うないをしなさい。 女房娘は三度の食事をこしらえ、頭に赤い頭巾をかぶり、畑に持って行きなさい。 赤い衣装の女房を見て、身は汚れても心が勇、身労を忘れる。 日暮れに帰ってきたら、たらいに湯を入れ、足を洗わせ、 男のあかぎり足を腹の上で撫で擦ってあげたらいい。 7.5月に入ったら吉日を選び田植えをしなさい。 男は苗代でめでたい草歌を、女は顔に化粧し、紅をつけ、衣装を改め、 笠をかぶり、尻をからあげ、黒い肌でも白い布を巻いて、田におりたら早苗を歌いなさい。 歌はいかにもしゃれた男女、夫婦の語らいを作って歌え、 皆、山山の神様をお祝いすることなのです。 昼食には頭ぐらいの大きな握り飯を、しかし女房には大きすぎるから、 菜の葉でも混ぜなさい。 田の畔には、大豆を植えなさい。 8.6月、田の草取りを。国によっては女房がとるところがある。 男ばかり炎天に出しておいて、女は内におき、良い留守番だなんて考えていると、 何と間男することがあるから・・・と。 紅花のあるところは、花かごを持って畑に出、つま、 袖ひらめかして紅花つむところもある。 には、紅花がよく出来たと言うところは、朝起きもよく、女子供までみんな稼ぐからだ。 よく出来ないところは、女房はお茶のみばかりし、嫁や子供は堕落ものだと思いなさい。 こんな子供には夏かたびらなんか着せられない。 土用の頃は大根をまくこと。麻もこの頃まきなさい。それは山畑にまくように。 9.7月、からむしをとること。からむしの収入は米をしのぐと言われている。 おろそかにされないよ。からむしが短いのはこやしが足りないのかも。 これは男の不精だ。こうした男は、いわゆる不精者か、病気持ちカ、疝気ふるいか、 であろう。 これは風が吹く時、風矢来をしておかないからだ。また、からむしが良くとも、 荒錆が抜けないのは女房のぶたしなみだ。こうした女房は、 どこの掃除もよく出来ないうえ、悪いにおいがプンプンするのも構わず男に近づいていく。 また綿も白く、からむしをよく仕出した女房は、容姿はすぐれなくとも、 普段のたしなみがきれいで、心言葉もやさしいものだ゜。 こういう家庭では男はいつも親切にされ、 ゴボウや山の芋づくりに昼夜分かたず稼ぐものだ。 10.8月、貧しい者の常として、まだ実の熟さない稲を刈り、雨の降る日はむしろ米にして、 一日一日を送っているものもある。所によっては、 今から雪の降る前の薪を準備しておくのが大切。 そうすれば貧しい武士も支給地の年貢の代銭取り立てに 、粗末な刀、脇差し、紙布子を着た足軽や小者に催促させ、 袋に入った米の調査をされても、彼らを粗末にしてはならない。 貧しくても、裕福でも、武士であれば百姓の身分で、卑しんではならない 。 11.9月、稲を一生懸命刈りほしなさい。 稲場が離れていると必ず盗人がきて稲を盗まれるぞ。 だから男は棒をつき、鑓を持って稲周りに毎晩出ること。 天気もよく、稲を内に入れたら、まず餅米を用意し秋餅をついて、 地頭・代官、地主にも配りなさい。親類縁者にも振舞いなさい。 だけど貧しい時にはその限りではない。女子供には秋の米をついたのを祝い、 たらふく食べ、濁り酒などを作り、だけど飲みすぎると腹を壊すぞ。 そんな時、自分の不養生のことなど考えずに、 山ぶしや神主に袋に米を入れて祈祷を頼むものが多いようだが、 しかし前もってしっかり養生しておくべきことだ。 11.10月、もう寒空になってくるから、家は夏の窓をふさぎ、菜、大根を引き抜きなさい。 栗・稗なども刈り入れなさい。大豆は天候を見計らって打ちなさい。 男女とも、冬中の始末をすることが大事、夜なべに稲をこき、米にして、 米の相場が良い時分に町に出して売り、その売り代で年貢を納める心掛けが大切だ。 若いものがこっそり売って夜遊びに出かけたり、 おまけに病気など貰って大変なしまつになることがあるからよく気をつけなさい。 男は夜なべして年貢の米を入れる俵を編んでおくように。 12.11月、雪の降らないうち、米年貢を牛馬の足がしっかりしているうちに お蔵に運び納めなさい。残米があったら町でどぶ酒の三杯も飲んで帰りなさい。 とりわけいい気分であろうぞ。 13.12月、地頭代官から、もし未納があれば催促がくるだろう。 その時は、常には一汁一菜のご法度ではあるが、夫々の身分に応じて、 どじょうでもほってドジョウ汁、それに頭付きのいわしでも付けて出しなさい。 そうしないと、女房を質に取られたりすることがある。 だから前もって年貢は11月中に収めておきなさい。 年貢を皆済ませたら、正月の用意をし、残米餅をつき、酒を作り、塩魚などを求めて、 目出度く年をとりなさい。 このほか、書き入れたいことは沢山あるが、百姓は色々な仕事をし、 万物をよく作り出すようになったら、みんな餓えるものがなく、怠けるものが居なくなる。 こうなれば、仏神の御心にも叶い、現世では、前家族が栄え、 来世では一家眷属ことごとく蓮華の花の上にのぼれるだろう。 これはみな農作の勤めがよくできたからである。 大たいこの書物に載せたが、その時の事を考えると、様々の味があるだろう。 寝ても覚めても怠らないことが大切である。 「大たいこの書物に載せたが・・・」とあるが、 まあ、微に入り細に入り、まるで百姓の専門家のような注意書き。 お茶のみにばかり明け暮れている女房にはかなり手厳しい。 男衆にはしっかり働き、年貢を納めろとも指導している。 若い衆には下手な夜遊びをすると病気をもらうことがあるぞ、と注意もしている。 しかし、年配の衆へのも心配りを促しており、 何度読んでも、自分がいわれているようでもある。 30万石から50万石へは直江公死後達成しているが、 これを読めばなるほど、と頷けるものがあり、偉大な政治家の一面を見せている。 鷹山公は中興の祖と言われているが、 直江公は正しく米沢上杉藩を、そして故郷を今日に残した国づくりを為している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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はじめまして
すばらしいブログ拝見いたしました。 私は「ふぉれすと」(http://www2.ttcn.ne.jp/tot23/)という歴史関係のホームページを作っております。直江兼続に関する記事を書くにあたり、貴ブログの四季農戒書の現代語訳を引用させていただきました。ありがとうございます。 なお、一部言葉を平易なものに直させていただきました。ご了承ください。 (2014年08月16日 18時02分06秒) |