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台湾役者日記

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2004年06月21日
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カテゴリ:未決函
「謙譲」という言葉を辞書で引くと、「万事に控えめで、他人に譲る・こと(さま)。」とある。「謙譲の美徳」とはそういう「さま」が美しいとするほめ言葉だ。「謙譲は美徳である」という考え方が社会に行き渡っている場合、ここからさまざまな処世術が引き出される。

たとえば、「(不本意ながらも)他人に譲ることで、徳のある人物だと認めてもらう」戦略。何かを我慢する代わりにおのれの徳望を高め、将来に期す、という考え方である。あるいは、「もともと何の定見もないのだが、控えめに振舞うことで何か知恵ありげに見せつつ、『奥ゆかしい人だ』と認めてもらう」戦略。こういう人物の行動原理は、死ぬまでぼろを出さないで何とかしのぐ、というものだ。

これらの「戦略」が処世術として有効である場合、さらに、積極的な意見表明が「出る杭は打たれる」ではっきりと不利であるような場合、そりゃ誰しも「火中の栗を拾」いたくはないから、「全員謙譲」というような事態に立ち至る。

みながみな控えめになって譲り合う「謙譲社会」では、いったいどのようにして物事が決められていくのか。譲り合うばかりでは何事も前へ進まないではないか。心配無用。「謙譲社会」には「分(ぶん)の秩序」というものがあり、出世しようと思えば、その分(ぶん)を越えて、危険を顧みず、でしゃばるしかない。そういうでしゃばり者の意見を、分の高い立場のやつがおもむろに取捨選択して、物事は決められていくのである。失敗したときの責任はでしゃばって意見を述べた下位の者が取る。事がうまく運べば、分の低いものは彼の意見を取り立ててくれた高位の者の計らいで出世することも可能だ。

「謙譲社会」は「分(ぶん)を尊重する社会」である。人々が自分の分を守っていれば天下泰平だ。改善の余地が発見されたときには、それを何とかしようとするでしゃばり者が現れる。でしゃばり者は失敗すれば排除される。成功すれば新しい分があてがわれる。社会の進歩はリスク・テイカーのでしゃばり者に任せておけばよい。

幕末は、でしゃばり者の輩出した時代だ。黒船が来て「謙譲社会」に動揺が走った。波はひとつで収まらない。幕府はどんどん追い詰められて、苦し紛れに繰り出した手形がまた次の波を呼ぶ。分(ぶん)の低い者にとっては千載一遇の好機到来だ。なにしろ放っておけば幕府は倒れる。そうなりゃすべての「分(ぶん)」はその根拠を失ってしまう。ここで自分がでしゃばって幕府倒壊が防げれば、出世は疑いなしだ。軽輩にとってリスクは無きに等しい。逆に高位の者にとっては危険極まりない局面だ。位が上のやつほど萎縮する。身分の軽い者ほど元気になる。ここに至って議論は百出。各種建白乱れ飛んで、清河八郎の「浪士組」なんてのも実現してしまう時世とはなった。

「芹沢」は、まさにそういう社会に生きている。

幕末から明治維新にかけての激動は、じつに壮大な「分(ぶん)の組み直し」だった。この社会にとって秩序とは「分の秩序」である。古い秩序の番付表で「幕内」を目指すのか、それともおのれが先頭切って勧進元の違う新しい番付表を刷りまくり、皆に押し付けるのか。「新選組」は前者を選んだ。まずは士分取立て。一心に励めばやがては旗本。大乱来たって功あるときにはいずれ大名にも化けて見せようとの腹づもりだ。

今だから何とでも言えるが、文久年間の「近藤」「土方」には、これは十分にリアルな「ビジョン」だったに違いない。ところが「芹沢」には、その「ビジョン」がどうもリアルなものとして信じられていない様子だ。そりゃそうだろう。水戸天狗党で勇名を馳せた「志士」としては、「幕府出世すごろく」の盤面に投げ出された駒のようなおのれのざまは、淫蕩や深酒の理由になりこそすれ決して自慢の種にはならない。すなわち「芹沢」は、「一新」の到来を予感していたのだと見たい。

それじゃあなんで「浪士組」なんかに入って「筆頭局長」になっちゃうのか。成り行きで、としか言えない。そこに「芹沢」がすっぽりはまり込んでしまえる「席」があったんで、とりあえず腰かけてしまった、ということなのではないか。ところがその席は、「幕府すごろく」を唯一リアルな世界と信じる「近藤」「土方」らに取り囲まれた席だった。ここに「芹沢」の悲劇がある。

社会は「分社会」。時代は「分組み直し時代」。ところが「芹沢」の周りには、幕府の「分秩序」に命を賭けた連中がひしめいていた。「近藤」「土方」から見れば、「芹沢」は「幕府すごろく」で我が行く手をふさぐ邪魔な駒にすぎない。いくら「芹沢」が「お前ら、そりゃナンセンスってもんだぜ」と言ったって、相手には通じない。さりとて「芹沢」は平隊士に自ら格下げを願い出ることもできない。そもそも他人の風下に平気で立っていられる性分ではないし、れっきとした武士の身分、押し出しの利く年齢、華々しい「志士」歴、永年付き従ってきた子分もち、どこから見ても「筆頭局長」に据えられるしかない「分」をもっている。この「分」は自ら振り払うことができない。そこが「分社会」の恐ろしいところだ。



(つづく)





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Last updated  2004年06月22日 04時30分29秒
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