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台湾役者日記

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2004年07月09日
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カテゴリ:未決函
〔承前〕
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史実としての「新見錦切腹事件」がどうであったかはともかく、この『新選組!』第24回「避けては通れぬ道」、「新見処分」のシークエンスは、「民主政」の実相というものを考えるうえで多くの示唆を与えてくれる。政治論の位相においても、この脚本はすばらしくリアルだ。
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ありきたりのドラマだと、単なる決闘のような形で主人公と敵役の対決が描かれる。力に対する力。平面上のわざくらべ。ところが『新選組!』第24回においては、この対決が何層にもわたる立体の姿で描かれる。

(1)「土方」は「芹沢」を暗殺する前に、彼の参謀格である側近「新見」を処分する。
(2)「土方」は、規範(隊規)の名において「新見」を追い詰める。
(3)「新見」が「士道」に殉じたのに対し、「土方」と「山南」は「士道」を超越している。
(4)主人公「近藤」は、「土方」主導による「芹沢派排除」を黙認するが、その手順の詳細については承知していない(「土方」は「近藤」にその手順を知らせない)。

もっとも重要なのは、
(3)「新見」が「士道」に殉じたのに対し、「土方」と「山南」は「士道」を超越している。
という点だ。

なるほど「新見」が古い物証を持ち出して「芹沢」を陥れようとしたことは「士道」に背く行為であるかもしれない。しかしそれを言うなら、そのような行動に出るように「新見」を仕向け、あまつさえ隣室に「芹沢」を呼んでおいて股肱の裏切りを盗み聞きさせるような段取りを組んだ「土方」と「山南」は、「新見」以上に没義道なふるまいをしていることになる。

そもそも「士道」とは「隊規」に明記されて始めて作用するような規範ではないはずだ。武士たる者は誰に言われるまでもなく「士道」をおのれの行動規範としているべきであり、「士道」に背くようなことをしたと認められる場合には自発的に自裁するのが理念形としての「武士」である。すなわち「士道」を行うのが「武士」。「武士」ならば「士道」は精神に内在化されているはず。と言うことは、「浪士組」隊規の「士道に背くまじきこと」という規定は、はじめから矛盾として存在したということになる。

わざわざ「隊規」に「士道」云々を書かれなければならないような、そんな団体の構成員は、「武士」ではない。ところが「武士」でないのなら「士道」に縛られることはない。この「隊規」には大いなるジレンマが隠されている。


(この項、つづく)





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Last updated  2004年07月11日 04時43分33秒
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