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カテゴリ:未決函
■ 農安街
「今日はわたしの行きつけのパブへ行きませんか。確か前にオフ会のあとで行ったことがある、あの店ですが」 「いいですね。そうしましょう」 われわれは林森北路のマクドナルド前からタクシーに乗って北上した。 「近いけどいい?」と運転手に訊く。 客待ちのじゃなくて流しのタクシーならまず近距離でもいやな顔せずに行くが、いちおう乗り込む前に「近いけどいいですか」と訊ねることで下手に出て相手の面子を立てるのである。するとワンメーターでも機嫌よく行ってくれる。 大通り沿いのカラオケボックスの前で深夜えんえんと客待ちしていてやっと自分の番が回って来たようなタクシーにワンメーターの行き先を告げるとえらいことになる。運転手はムッツリ黙りこみ、昔日本が元気だった頃横行していた「雷タクシー」もかくやと思わんばかりの荒っぽい運転で飛ばしまくる。そういう時はこっちの腹もムカつくが乗ってるあいだに嫌味を言うと何をされるか分からんので、降りてドアを閉めるときに「何だその態度は!」とどなってドアを叩きつける、というような行為に及んだのも今は昔。やはりタクシーは流してるやつを停めて乗った方がよい。 「このまままっすぐ行って、民権西路越えて、その先へもうちょっと……。農安街の辺り」 「好(ハオ)ア~(=オッケ~)。辣妹(ラアメイ)のいる店へ行くんだな」 「辣妹」とは、「露出度の高いコスチュームを着て男子を悩殺する女子」の謂いである。 「いや、そんなとこへは行かんよ」 「ははは。いやあ、分かってる分かってる」 「農安街」はパブの町である。昔その辺りに米軍の施設があったらしい。アメリカ兵を当て込んで多くのPUBが狭い路地に立ち並んだ。1979年に「中華民国」とアメリカが断交になってから米兵はいなくなり、今では台湾人諸兄の通う飲み屋街になっている。 俺が初めて「農安街」に足を踏み入れたのは2001年秋ごろと記憶する。当時勤めていた貿易会社に俺よりも年上の新入りが入ってきた。彼の名前を仮に「ジェイク」としておこう。職場の空気にも慣れた頃、ジェイクは俺を誘ってこの町に連れてきた。そして1軒のパブに入った。 台湾人は「PUB」を「パアブウ」と発音する。「パア」は第四声(下がる)、「ブウ」は第三声(下がりっぱなし)。台湾では「PUB」と称する店にもいろいろある。復興路以東のいわゆる「東區」へ行けば新しく出来たイギリス風だかアイルランド風だかの「PUB」が何軒もあって、欧米大洋州系のヒトビトが立ち飲みでサラミソーセージなんかをぱくつきながらビールをガンガンやっている。主要言語は英語。そっちの「PUB」はほんとにパブという感じがするんだが、「農安街」のは、スナック、カフェバー、キャバクラなど各種酒場の混成部隊だ。 ジェイクが連れて行ってくれたのは「POISON」という店で、これは日本式に区分すると「スナック」になる。店に女の子はいるがみんな普段着。ジーパンをはいてセーターを着込んだりしている。カウンターのこっちへ出てきて横に坐ったりもするがそれで別に何をするわけでもない。おしゃべりに飽きたらまたカウンターの中へ入って適当におつまみを作って出したりする。 「ミチオ」カウンターに肘をついて、ジェイクは言った。「俺は来月から、大陸へ行く」 親会社はアメリカにあって、われわれの勤め先は台湾子会社だった。すでに香港にも別の子会社があったが、2002年からは中国の中の方へも事務所を開くことになっていた。ジェイクは中国との貿易の経験を買われて、大陸突撃要員として、中途入社してきたのだ。 「俺は昔、この先の中山北路で会社をやっていた。潰しちまったけどな」ジェイクの話が続く。「その頃この店にはしょっちゅう通っていた」 過去を眺めるような目で斜め上を見上げながら、スコッチの水割りをあおる。 「ミチオ!」 「はあ」 「俺が大陸へ行った後は、お前がこの店を守るんだ!」 「あ、ああ。……ええッ?」 ジェイクはその翌年早々中国へ渡り、その半年後に会社を辞めた。俺はこの時からずっと、だいたい3ヶ月に1回くらい、「POISON」に通うようになった(3ヶ月に1回でも「通う」と言うか?)。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年01月07日 03時52分32秒
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