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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年09月08日
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馬場美濃守信房の子孫 馬場氏と長篠との交流

 

 長篠合戦後、戦死者の縁者が、戦死の地を弔った話は残っている。例えば「三河回国二葉松」に新城市川路にある高坂源五郎正澄の墓に、高坂家人白井某が石塔を建立したとあり。石塔建立は南設楽郡誌では享保廿年(一七三五)八月二十七日としている。

 江戸時代にも、馬場一族が、馬場信房の墓を弔ったことであろうがその記録はない。

以下は明治八年以降の長篠に残る記録である。

 

◇明治8・1114

馬場信男ヨリ十六代の孫、越後国南蒲原郡一ノ木戸、馬場庄右衛門信彦氏、祖先ノ遺蹟ヲ弔ハントシテ長篠医王寺に来泊す。年五十五。

信房公諱号ハ天正鑑公大禅定門 菩提所ハ信州更級郡牧田中 

神峯山 興禅寺(見聞録)

◇明治19・5・8

馬場信房ノ末孫、静岡士族仝地追手町六番地馬場長山氏、新開(今の新城市信玄)太田己之助氏ヲ案内トシ祖先ノ墓参古戦場視察トシテ林重三郎ヲ訪フ。仝氏秘蔵ノ記二馬場公ノ戒ハ信翁乾忠大居士

天正三乙亥年五月廿一日長篠戦死、俗名馬場美濃、行年六十二歳トアリ。又、美濃次男カ惣領ニ馬場民部信吉甲州城番ヲ勤ム、甲州恵林寺ニ秀骸院殿傑山常雄大居士、俗振馬場美濃守信男トアリト(見聞録)

 

◇明治23・10・10

越後南蒲原郡一ノ木戸、馬場正吾、テイ夫婦祖先ノ墓参ノタメ来訪、医王寺二一泊ス。正吾氏八六十六歳、テイ氏八五十九歳。当主ハ信助ト云フ由。先年本家タル信彦氏、長篠墓参帰国ノ当時、祖先三百年追福ヲ催スニ会シ、頓死スルト云フ。

其ノ同族中、信彦氏ヲ以テ本家トシ、正吾其次ニテ数百年此ノ方十有余戸ノ族門アリト。馬場原始ハ

郷ヲ名乗其後、馬場卜改メタリト云フ。叉信濃枇杷城ニハ興禅院花林隆芳大姉ト云フ位牌アリ。之レ信房ノ室ナリ。(見聞録)   

 

 ❖明治25・5・20

馬場正吾氏夫婦信男公建碑竣エヲ祝ッテ再来訪。仝廿三日、氏ノ為ニ臨時招魂祭ヲ行フ。(見聞録)

(注)

「明治八年長篠を訪れた馬場本家十六代庄右衛門信彦氏五十五歳」について、見聞録の明治八年と明治二十三年の記載によると、同氏は文政四年に生れ、明治八年五十五歳で死去したことになり、馬場宗家の系図には該当者がない。尚馬場本家の系図は十五代で絶えたことになっているから、この点でも食いちがっている。記録の誤りであろうか。

(注)「馬場正吾氏について   ’         。

 馬場正吾氏は、明治二十三年と二十五年の二回長篠を訪ねられた。明治二十三年六十六歳とあるから、文政八年(一八二五)の生れであり、馬場本家の系図に十一代信循の子で十二代信善の弟、始信助、後正吾、文政八年生とあるのと一致する。

  

 ❖明治27917

越後三条一ノ木戸 善性寺住職、福田見励氏祖先ノ墓参ノタメ来訪。氏ハ馬場信男ノ従者ニテ越後ニ従フテ今ニ居住ス。当年五十三歳。馬場墳墓ノ側へ左ノ句碑建設方、林重三郎へ依頼アリ。(見聞録・名刺)

  天正のむかし思ひ出されて

     只秋の風が吹なり古戦場  北越李門

 

 ❖明治28・6・21

新潟県三条馬場一族記念撮影 馬場哲朗氏庭園にて

(愛知県鳳来町長篠 林英太郎氏所蔵写真複写)

 

❖明治3210・6

愛知県属第七課長馬場晟山氏息市松氏来訪。(見聞録)

 

 ❖日時不詳

新潟県三条町一ノ木戸馬場正一氏(名刺)

商船学校教輸兼中央気象台技師馬場信倫氏(名刺)

陸軍工兵少佐馬場斉氏(名刺)

 

◇明治40・1・9

東京市京橋区魚岸島四日市町十八番地 馬場伊之助氏(名刺)

 

◇昭和4・9・27

東京都下長崎町宇並木一四六 馬場数三郎氏来訪。(芳名録)

 

 ❖昭和4・10.6

浜松市板屋町一一九番 馬場志ん氏来訪。(芳名録)

 

 ❖昭和10・7.9

甲府市桜町馬場ほの氏、

山梨県北巨摩郡菅原村自元寺住職 山崎秀雄氏来訪。(芳名録)

7月餅頼公本陣趾医王寺に甲州の人々を迎えた。三河の有志             

(自元寺所蔵写真複写)

 

 ❖昭和14・2・12

千葉県市川市菅野二〇四 馬場数三郎氏来訪。その子昌平氏は戦後、医王寺に寄偶し後東大印哲科に進学した。(芳名録)

 

❖昭和15・9・6

東京都杉並区天沼二丁目四六四馬場信広氏来訪。(芳名録)

 

 ❖昭和16・12・1

東京都杉並区天沼二丁目四六四 馬場信美氏来訪。(芳名録) 

 

 ❖昭和16・12・1

東京都杉並区天沼二丁目四六四 馬場信明氏来訪。(芳名録)

 

❖昭和17・3・21

 

 ❖昭和20・2・8

愛知県設楽町田口国民学校臨時陸軍病院に、馬場信房の子孫という軍医少尉がいた。(田口・福田寺住)

 

❖昭和26・2・8

東京都目黒区碑文谷三ノー九四九 大澄恒七氏長男光昭・長女智枝氏同伴来訪。同氏は新潟県出身、馬場氏の末裔という。(林興司・芳名録)

 

❖昭和33・3・1

東京都中央区日木橋江戸橋馬場静山堂主馬場信彦氏を訪ねた。(丸山彭)

 

❖昭和39・8・22

長篠城趾史跡保存館開館準備中、東京都品川区士大崎長者丸二七八 

梅原美男氏親子四人が来館された。

美男氏は芸大講師、夫人幸代氏は逗子市の馬場氏の出。亡父の写真により、長篠を知り、墓参のため来訪。(保存館)

 

❖昭和39・10・17

梅原幸代氏が実姉馬場利子氏、逗子の馬場信氏、

三省(みつよし)氏を案内して来訪。

信玄公遺言状、信房画像、武田二十四将図、馬場家系図、

牧野島城之図など持参された。(保存館)

 

❖昭和39・11・3

長篠城趾史跡保存館竣工式が挙行された。(保存館)

 

❖昭和39・11・24

東京都目黒区大崎の梅原氏宅を訪問した。(丸山彭)

 

❖昭和39・12・12

東京都杉並区西田町荻窪団地一二 

馬場信幸氏が来館された。面談三回目。(丸山彭)

 

❖昭和40・1・16

岐阜県瑞浪市陶町水上七八 加藤洸氏の連絡により、長野県中野市に馬場一族があることを知った。(保存館)

 

❖昭和40・4・18

長野県松代馬場政太郎氏次男高崎経済大一年政信氏が来館された。

(保存館)

 

昭和4010・□

東京都目黒区上目黒五丁目二六番一号に転居された梅原氏宅を訪問した。(丸山彭)

 

昭和4011・9

逗子市山ノ根馬場信氏宅を訪問した。同氏が、長篠城趾史跡保存館が借り受けた信玄遺言状のことを新聞紙上で知った東京都目黒区に住む医師馬場信夫氏が来訪されたと話された。(丸山彭)

 

昭和41・6・10

新潟県三条市一ノ木戸馬場由太郎・馬場徳次郎の両氏が来浄された。(保存館)

 

昭和41・7・10

長野県松代の馬場政信氏が再変来館された。(保存館)

 

昭和41・9・16

新潟県三条市出身大阪市東成区今里木町二丁目二二馬場与司平氏が来館された。(保存館)

昭和411018

静岡県浜名郡新居町向島三三八〇 一四四、馬場信雄氏夫妻が来館された。原籍は神戸市兵庫区長尾町宅原一一三である。(保存館)

 

昭和42・8・16

新居町の馬場氏が系図、播州三木雲竜寺の免許状などを持参された。

(保存館)

 

附和42・8・18

静岡県湖西町白須賀蔵法寺住職井上正隆氏が来館され、愛知県豊橋市二川町にも馬場信房の末裔があることを話された。(保存館)

昭和43・2・2428

長野市松代の馬場政太郎氏を訪ね、政信氏に長明寺と信州新町の牧之島城趾及び興禅寺の案内を受けた。(丸山彭)

 

昭和43・4・14

ロータリークラブ一行の中に、豊橋市二川の馬場八平三氏がおられた。(保存館)

 

昭和43・5・27

大宮市天沼町一-二五一馬場信一氏、東京都江東区深川三好町ニー一馬場辰雄氏、神奈川県鍾倉市山ノ内七二八馬場末都雄氏三兄弟が来館された。(保存館)

昭和43・6・5

再度、逗子の馬場信氏を訪ねて資料を拝見した。(丸山彭)

 

昭和43・6・7

東京都目黒の梅原幸代氏から、逗子の馬場氏系統について、詳細な連絡があった。(丸山彭)

 

❖昭和43・8・15

山梨県下文化財関係者一行と共に、甲府市朝気町場揚言寿氏が来町、戦跡を弔われた。(保存館)

 

❖昭和43・8・15

愛知県鳳来町大野下江利幸氏の案内を受けて、静岡県浜名郡湖西町白須賀蔵法寺、愛知県豊橋市二川

町馬場ハ平三家、同町妙泉寺を訪ねた。(丸山彭)

 

❖昭和43・10・29

ソニー商事株式会社名古屋営業所勤務場揚漬氏来館、所蔵する資料について話された。(保存館)

 

❖昭和4311・6~13

東京・群馬・新潟・山形の諸県に出張、馬場氏をはじめ、長篠合戦戦死者の末裔を訪ねた。(丸山彭)

 

❖昭和44・2・24

神戸市兵庫区長尾町宅原、宅原寺住職能蒼海師が来館された。寺は馬場信直の建立で、信直以下代々の墓がある由。(保存館)

 

❖昭和44・4・19

東京都杉並区西田長一の遺七一馬場信行氏が、長篠に居住されることになった。(保存館)

 

❖昭和44・6・10

愛知県新城市中村寛象氏夫人忠子氏から馬場信男の子孫、山梨県北巨摩郡高根町東井出植松正邦氏のことを承わった。(丸山影)

 

❖昭和44・8・2127

山梨・群馬・東京・静岡の各地を廻り、馬場氏の調査をした。(丸山彭)

 

❖昭和44・9・14

東京杉並区成宗一の九六馬場友義氏が来館、長野県八本沢の馬場一族の資料を提供された。(保存館)

 

❖昭和44・9・2829

神戸市兵庫区の宅原寺を訪れ、資料を拝見した。(丸山彭)

❖昭和441026

兵庫県三田市高次五〇〇番ノー馬場茂弘氏夫妻が来館された。(保存館)

 

❖昭和441130

静岡市北安東に馬湯漬氏を訪れ資料を拝見した。(丸山影)

❖ 昭和45・2・28

三日間、武田三代史跡めぐりの団体旅行を行ない、長野県、山梨県下の武田氏関係史跡を訪ねた。(保存館)

 

❖昭和45・3・13

新城市中村忠子夫人が山梨県北巨摩郡高根町東井出植松正邦氏夫妻を案内来館された。(保存館)

 

❖昭和45・6・21

長野市松代町出身馬場政矩・政信兄弟が来館された。(保存館)

 

昭和45・7・11

東京都杉並区荻窪馬場信幸氏本宅、仝馬堀金夫氏宅、新宿区南元町一行院を訪ね、馬場氏関係資料を拝見した。(丸山彭)

昭和45・7・27

静岡県浜松市妙恩寺・仝浜名郡新居町馬場信雄氏・仝郡白須賀町蔵法寺・愛知県豊橋市二川町馬場八平三氏・仝所妙泉寺を訪ね馬場氏関係資料を拝見した。(丸山彭)

 

昭和45・7・30

神奈川県藤沢市辻堂馬場良夫氏を訪ね馬場氏資料を拝見した。(丸山彭)

 

昭和45・8・14

神奈川県藤沢市馬場良夫氏親子四人来館、翌日は戦跡を弔われた。

この日相模原市上前間一五六二 馬場信明氏が来館された。(保存館)               昭和45・8・19

調布市上市田四五一番馬場信美氏と御家族が来館された。(保存館)

昭和45・8・23

静岡県新居町馬場信雄氏夫妻が来館された。(保存館)

 






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最終更新日  2021年09月08日 16時20分19秒
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