★慌てず淡々と‥
「えーっと‥これは、転んだのか??」遠目から見ているので判りづらかったのだが、どうやら転んでいるように見える。老夫婦の男性のほうが、座り込んでいた。その傍らに、おそらく奥さんだろう女性が、ハンカチを出して男性の顔に押し当てていた。まさか見なかったフリをして通り過ぎるわけにいかなかったから、バッグからマスクを出して顔につけ近寄って行き、声をかけた。聞くと夫婦で、インフルエンザの予防接種を受けに、医者へ行く途中だというのである。夫の右頬が切れてしまっていて、血がでてしまっていた。今から医者ならその手当てもしてもらえるだろうから心配ないが、問題は医者まで行く距離である‥少し距離が有る。私が「立てますか?」と座り込んでいた男性に声をかけると、足に問題がないか、足首を回してみていた。どうやら大丈夫らしい。奥さんが飛んでしまった眼鏡を拾ってかけさせようとしたのだが、レンズが片方抜けてしまっていた。慌てて私も一緒に、飛んでしまった片側のレンズを、足をそーっと動かしながら探す。踏んでしまったらお仕舞いである。幸いにもレンズは無傷ですぐに見つかった。男性が立ち上がろうとするのを、私が補助することにした。どう考えても華奢な奥さんでは、支えられそうになかったからである。立ち上がって歩き始めると、足の裏全体で歩こうとしていた。私は思わず「かかとを下ろしてから足の裏全体を地面につけないと、転びますよ!」と腕を掴みながら話した。奥さんは「頻繁に毎日散歩しているのに何故転ぶのか?」と嘆いていたのだが、正しい歩き方をしていなければ、例え沢山散歩をしていても、効果は薄いだろうと思った。それに男性の一歩一歩が、年齢の割には思いの外早過ぎた。もう少し慎重に一歩を出しても良いだろうと思うのだ。きちんとした歩き方が出来ていれば、早歩きでも問題ないが、間違った歩き方で早く歩くと、転倒のリスクが高くなる。私は行きたいところがあったのだが、放っとけなかったので、まぁ、いいかぁ‥と考え、一緒に医者へ行こうとした。ところが奥さんから「もう大丈夫ですから‥」と言われたので、無理に親切を押し付けても、大きなお世話になると思い、二人を見送った。「ゆっくりと奥さんに合わせて歩いていってくださいね!」2人の背中に声をかけて、会釈をしてその場を離れた。無事に医者へ辿り着きますように‥。奥さんが、帰りは医者でタクシーを呼んでもらうと言っていた。転んだ場所は車も通らないあぜ道だったので、タクシーを呼ぶのは難しい。インフルエンザの予防接種の為に医者へ行く途中で怪我をしていては、何の為に病院へ行くのかと、考えるとチョッと悲しい。2人の背中を眺めつつ、転んだのが奥さんと一緒の時で良かったと、不幸中の幸いだったことに感謝した。こう考えると、何処に災いが潜んでいるか、誰にも分からない。何事も無い一日が一番幸せだと感じた。それにしても私の周りには居ない、とても物静かな老夫婦。良い歳の取り方をされていると、感心してしまったのだった。