広島原爆の日である。
あの日、新婚2年目の父は福山の連隊に所属していた。
爆撃の数日後、広島市の宇品へ行ったというが詳しいことは知らない。
広島市内ではたくさんの犠牲者が出た。
その中に12名のアメリカ兵捕虜がいたことは知ってはいた。
つい数日前産経ニュースで、その捕虜の中に山口県の東部、伊陸(いかち)に墜落した米軍爆撃機の搭乗員がいたことを知った。
産経新聞記事
調べてみたら
沖縄を飛び立ったB24爆撃機は1945年7月28日、呉沖で旧日本軍の戦艦を爆撃中、対空砲火を浴び、伊陸に墜落。搭乗員9名はパラシュートで周辺に脱出したが捕らえられ、7名が広島市にあった中国憲兵隊司令部に連行された。
7名のうち機長は東京に送られ残り6名が8月6日朝、米軍爆撃機「エラノゲイ」が投下した原爆の犠牲になったということだった。
詳しくは
ヒロシマ平和メディアセンター
8月6日、いろいろ考えさせられる日です。