自分にできること。いよいよ行動の時。。
こんにちは。
今日は昭和の日。
この昭和の日という言葉、私の中ではピンとこなくてやっぱり天皇誕生日という方がしっくりきます。
同じように感じている方がいたとしたら、同じ世代の方でしょうか(^-^)
私は日々忙しいながらも趣味のガーデニングやバイクなどを楽しんだり、優しい家族に囲まれごく普通の生活ができています。
これは、本当に本当に有難いことです。
さて、タイトルにも書いたのですが、ちょっと勇気を出していよいよ行動にでます。
記録としてこのブログに書いて行きます。
まずは、
東日本大震災から二年、被災されました方々におかれましては心よりお見舞い申し上げます。
復興へ向けて様々な取り組みが行われている中で、中には未だ進展のない分野でご苦労されている方も数多くいらっしゃると思います。
この二年間、私が協力できた事と言えば募金と電気の節約くらいで、あとは何もできてません。
現地の様子は映像でしか知りません。
現地の方々のご苦労も報道されていることしかわかりません。
娘は去年、市のボランティアに参加して一日だけですが、被災地の瓦礫の撤去作業を手伝いに行きました。
私は情けないことですが、現場を見るのが怖いという気持ちでいたので、そんな我が娘をすごいなーと感じるだけで、自ら何かしようとも思いませんでした。
先日の伊豆ツーの朝、東北道を走りながら考えていた事がありました。
そのことを実行に移す準備ができたので、今日その第一歩を踏み出します。
その内容は、
キャンプで出会った福島県の親子の消息を調べることです。
震災後ずーとずーと気になっていました。
キャンプの時に子供達がお世話になったご家族がどうされているのか、考えたら涙の出る日もありました。
もし、消息がわかったとしても私に何ができるかはわかりません。
でも、ブログで、6/1に、復興支援のためライダーの方々が福島県のよつくら港道の駅に集まるということを知り、私の中の意識が少し変わりました。
何もしないで心配しているより、調べよう、再会するための努力をしてみよう、って。
今、こうして書いている最中でさえ、彼らのことを思うと涙が出てきます。
伊豆ツーで高速をを走りながら、その自分の思いを父さんに伝えようって思ったのでした。
そして伊豆ツー、二日めの朝、バイクを拭きながら父さんに話しました。
父さんは賛成してくれました。
それは私の単なるエゴ、自己満足に過ぎない、 そんな気持ちもあったので、父さんが賛成してくれたこともあり勇気が出て、準備を始めました。
まずはどうやって情報を得るか考えました。
わかっているのは名前と年齢と住んでいた町の名前だけ(/ _ ; )
ブログやFacebookで当時の写真を公開することも考えましたが、相手方のプライバシーのことを第一に考えてそれはやめました。
インターネットで色々と検索し、公的機関にも問い合わせましたが、そうそう簡単にわかるものではありませんでした。
そうして、最終的にたどり着いたのが、これから私が手紙を送ろうとしている学校のホームページです。
そちらのホームページへの書き込みはあえてやめ、当時の写真と手紙を直接送ることにしました。
何か手がかりが見つかるよう祈りながら、
先ほどポストへ投函しました。
保存、編集を繰り返しながらの日記なので読みにい部分もあったかと思いますが、最後まで読んでくださりありがとうございました。
今夜は息子のラグビー仲間がうちに。。
バーベキューなのですが、
どれくらい肉食べるんだろ?
ちょっと、いや…
…かなりおそろしい。。
なので、
最初は焼きそばと炭酸ですね。。