カテゴリ:卑弥呼時代の日本
今日、Gooのブログに、トラックバックが有った。訪問して見ると、慌て者の私と違って、几帳面な、読み良いブログが在った。
ここ数年は、通説の常識的説を読む事が無かったから、久し振りの対面である。細かくは読んでないが、「古代史が判って今が判る」とか、「将来の目標が判る」などと、私のブログに似た事を書いていた。 しかし、いて九州説や、近畿説を並べて、ブログにして、何一つ、そう、場所さえ確定してないのに、唯我独尊で、自分の仮説が正しいと言い張り、明治以来、続ける学説のマトメが書いてあった。 これらの通説解説に、何の光明が有るのだろう? 近畿に、銅鐸の文化が有った事は、間違いの無い事実である。これも解けない学者の、争論を紹介して、何の意義があるのだろう。 この古代の謎が解けない学説で、現在の何が判るのだろう。何も判らない。だから、史学者は、何一つ、現在に役立つ論や方向、将来の目標を書いてない。 常識の説では、謎ばかりで、何一つ、実生活に役立たないのだ。現在の日本社会を見れば、歴史とはかけ離れている事が、これを証明している。だから、間違いは明確だろう。 このような、史学者の説を読むのは時間の無駄である。しかも、丁寧にブログにするのは、もっと、無駄だし、人々を迷わせると、私は思う。 この無益なTBを、削除しようかと思ったが、残して、公開した。常識の再認識にはなろうが、時間の無駄なのだが、ざっと目を通して、今回のブログになった。私や、宇摩説のファンにとって、無益ではなかった。 卑弥呼は、どんな社会に女王となり、どのような方法で国を固めたのか?皇帝の交渉はどんな意味があって、国固めに役立てたのか? 古代常識(史学者の説)では、一切不明である。このような不明ばかりの説で、どうして、現在の分析が出来るのか?将来の目標が決められるのか?はなはだ疑問である。 常識の説では。不可能である事は、現在の社会状況から、明確であろう。つまり、常識の古代史は、役立たない古代史、無意味な古代史といえる。日本人が古代にどのような仕組みで国を固めて居たか判らない。 また、近畿説の学者は、九州説を無視する。九州説は近畿説を無視する。もちろん、互いに多少の、批判はあるが、各々の説を読めば、自説に力を入れて、相手側の地域に国が無いかのごとき論理である。 弥生中期に、近畿には銅鐸文化、四国には、平形銅剣文化、九州には広形銅矛の文化があった。これは発掘から明確な事実である。 九州説の学者も、自説が正しいなら、同時に、近畿の文化の謎も解いて下さい。近畿説の先生は、まず、銅鐸の国や、王様の名ぐらい解いて、その上で、九州の文化圏(国)も、解いてください。 卑弥呼の時代に在った、明確な三文化圏(広矛、平形銅剣、銅鐸)は、卑弥呼の少し前か、同時代至るまで、日本に存在した。これらの事実が解けない内は、仮説であって信じるにたらずと私は思います。 そうそう、出雲は九州と近畿の青銅器が混在して、大きな一つの文化圏とは云い難いので省きました。此処は、宇摩説では、高天原の支配地の瀬戸内側と、独立していた山陰側に分かれるような気がします。 今日は此処で終わります。次は、倭人伝と宇摩説、銅鐸国の話は、先に書いているので、倭人伝が証明する。宇摩説について、書くことにしましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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