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もう3日経ってしまいましたが、天皇陛下が譲位についてのお気持 ちを表明されましたね。
その中で私が一番心に残ったのは、戦後日本の「象徴」としての ご自分のあり方を模索されてきた陛下が、 「昔からの皇室のやり方を現代風に少し変えませんか」 と提案されているように感じた点です。
つまり、天皇が崩御された後、平安時代ならのんびりしていて、 それこそ陰陽道で「今日は悪い日だ」となれば、大臣も会議に来 ないような時代でしたから、殯(もがり)の行事も1年に亘って行う ことも出来たでしょう。
でも今は陛下が仰ってらしたように、皇族方が殯の行事を行い ながら、更に一般の公務も行うというのが身体的にも物理的に も限界だと感じられたようです。
しかも殯の行事がいつの時代のものを取り入れているかは、私に は分かりませんが、どうやら大嘗祭の真床覆衾(まどころおぶす ま)と殯については、平安時代辺りの儀礼通りに行っているよう です。
にもかかわらず、公務は公務で現代と同じように前天皇が崩御 されてから数か月後から開始になるのだから、皇族方は宗教の 儀礼と公務とで忙殺されてしまうのですね。
皇族や妃殿下方のご実家の方が亡くなられた時、「〇〇妃殿下は △△日間の喪に服します」とニュースでも報道されますが、そういう 現代風の喪の期間が定められている一方、宮中では、恐らく 特に新天皇と新皇后は昔ながらに1年間殯の儀式を勤められて いたのですね
これは私などには初耳でした。
大体、明治~戦後までの天皇の在り方が、それまでとはガラッと 変わり、「現人神」なんて言われて手の届かないようなおかしな 存在にされてしまいました。
お気の毒に、明治天皇は最期は尿毒症に罹られたそうですが、 「御神体に注射針を打って良いのか」と、侍医たちが迷い、 折角開国で入って来た西洋医学も使われず、相当苦しい思いを されて亡くなられたようです。
それでも、日本は議会制政治を行っていましたから、明治天皇も 大正天皇も昭和天皇も議会で決められたことを非常に重視されて きました。
本当の天皇親政なんて奈良時代前までで、藤原氏が出て来て からは、大臣たちが政(まつりごと)を決めていたのだから、もう 1000年以上天皇は「親政」なんてしていません。
だから、昭和天皇が自らの意見を表明されたのは2・26事件の時と 終戦のご聖断の2度だけです。
今上天皇が自らのお言葉を国民に語りかけたのも、東日本大震災 と今回だけです。 天皇誕生日や新年宮中参賀の時のお言葉を除いてね。
よく知られているように、皇室の古来から続く・・・と言われる行事は 殆どが江戸時代のものです。 ・・・ということは、皇室の中でも時代と共に様々な事柄が変わって きているということですよね。
皇后様や妃殿下方が十二単衣をお召しになる時の髪型ですが、 かなり横に張らせていますよね それは江戸時代に宮中で流行り出したものが現在まで続いている ものです。
「伝統に従って」と言うなら、平安時代のように何かの行事の時には 髪の毛のてっぺんを「一元結い上げる」だったかな、そういう言い方 の髪型をしなければならない訳で・・・。
やはりいつもと違う髪型を、という考えでしょうね。 頭の上に結んだ髪を立たせるんです。
というように、皇室も時代と共に変わってきているのだから、あまりに 古代のしきたりを現代に続けていくのには限界があるということも、 陛下は仰有りたかったのではないかと思えるのです。
これはちょっと問題で、皇室内部の行事についての事ですから、 陛下のご意思で変えられないのか、宮内庁が許さないのか・・・
そこはわかりませんが、陛下が先の人達のことをお考えになって発せら れたお言葉ではないかと思えます。 ずれてたらすごく申し訳ないことですが。
実際明治に入ってから、皇室は洋装が正装、和服が普段着となり、 昭憲皇太后は「女性が活躍する為には洋装が良いのでは」と仰せに なったりしたこともあり、外国には洋装、伝統的儀式は江戸時代に平安 時代頃まで加えて、と皇室だけ大変なことになっていたのですね。
伝統は大事。 でもあまりに現代とかけ離れた部分は改めて、皇族方に負担が掛からな いようにというのが陛下の思いではないでしょうか
秋篠宮家のご負担も大変そうですね。 いつも応援ありがとうございますにほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 12, 2016 05:12:13 AM
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