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日野原重明先生が105歳で亡くなられましたね。 瀬戸内寂聴さんが言ってらしたように、日野原先生は死なないものだと 私も思っていました。
クリスチャンという事もあるのでしょうか、とても優しくて人の、患者さ んの気持ちがわかる方でしたね。先生が以前テレビの取材の中で、夜中に 電話が掛かって来て、相手が「遅くに申し訳ありません」と言うと、 先生は「いや、原稿を書いていた所です」と言って相手に申し訳ないとい う気持ちを持たせない様にしているとか。
これ、てなかなか出来ない事ですよね。 あと、ホスピスにいる患者さんを訪れる時は必ず手をしっかり握るとか、 人間の心のケアも素晴らしかった。
先生はよど号事件の時、その飛行機に乗っていたのよと長男に言ったら、 ビックリしていました。当時、既に45歳位だったのかな? でも、とても怖ろしかったと思います。
サリン事件の時、1人も断らずに受け入れたのは、今でも他の病院が 見習うべき点ですね。キリスト教系の病院ですから礼拝堂があるのです が、いざとなったら病室になるように作っていたんですね。
戦争も経験していらしたから、病人や怪我人を断らない、他の病院へ転送 するような事無く、全員受け入れるというポリシーがあったようです。
実は私はサリン事件を知ったのは3/21の事でした。1995年3月18日に 次男をポーンと産んだので、入院していたんです。 それで、3/21に両家の母親がお見舞いに来てくれた時、母が 「地下鉄に乗るのが怖かったですわ」 と言ったので、何かあったのかなと思いました。
その夜、次男が11時頃になってもぐずっているので、談話室へ抱いて 行きました。そこにある新聞を暗い中読んで驚愕しました。 日本で(東京で)何が起こったのと。 暗いし、又産後は目を使ってはいけないけれど、新聞の見出しがかな りの大きさだったので、流石によく読めました。
このサリンが撒かれた電車には、実は主人の従姉の夫が乗っていたんで す。 ただ、幸いにも車輛が大分離れていたので被害はありませんでした。 この従兄、同じ年の1月には大阪にいて阪神淡路大震災にも遭っています。 埼玉に住んでいる奥さんにお見舞いの電話をしましたが、 タンスが倒れ て来て、あと数センチの所でタンスの下敷きになるところだったと聞きま した。
この従兄は運が良いのでしょうか、悪いのでしょうか。 良いのでしょうね。
まーた話が逸れました。
呼吸不全でご自宅で亡くなられた先生、最期苦しくなかったら良いので すが。 又、老衰で無いところが流石だと思いました。
患者さんの事がご心配でしょうが、どうぞゆっくりお眠り下さい。
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