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2024.01.22
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カテゴリ:カテゴリ未分類
​​大河ドラマ3回目は、後に四納言と呼ばれるうち、源俊賢を除く藤原斉信、
公任、行成が一気に出演しましたね。
実資はずっと年取ってからですが、最後は右大臣になったのでここには
入りません。

もっと後に書いても良いのですが、紫式部と道長の正室倫子とのことに
ついて・・・。

倫子はその母、石野真子さんが演じる穆子の血を引いたのか、とても
よく気が利き、また道長や子供達の為に動いた人です。
最後は43歳位で末子である喜子を産んだのは、現在でも珍しい年齢で
の妊娠・出産ですね。

で、何を書くかと言うと、私の恩師であるゼミの教授は、紫式部は
道長の妾であったでしょう、と言っていたのです。
(教授は名誉教授として、まだご存命のようです!
紫式部日記の中に、夜中に局の戸を激しく叩く音がしたが、恐ろし
くて応じなかった、すると、翌朝夜通し戸を叩いたのに、という
和歌が送られてきたという話が載っています。
 

これに対して紫式部は、
”ただならじ とばかりたたく水鳥(くいな)ゆえ あけては
いかに くやしかるらむ”
と返歌したと。
ただごとではない位激しく戸を叩いていらしたので、扉を開けたら
(夜が明けたら)どんなに後悔したことでしょう、という意味だそ
うです。


   

    「紫式部日記絵巻」藤原道長


ここには戸を叩いた相手の名が書かれていないにも拘わらず、これ
は道長だとする意見が多くあります。

尊卑分脈の中の紫式部についての所に、『道長妾』と書かれている
のが原因でしょう。
現在では、紫式部妾説はあまり指示されていないようですが、その
理由の1つに道長の糖尿病が挙げられます。

糖尿病は性欲が著しく減退する病だから、と。
でも、倫子43歳、道長41歳で喜子は生まれています。
それに、2人の仲がずっと続いたとは限らないでしょう。

倫子について、紫式部に贈り物をしたり、里に下がっていた紫式部を
手紙で読んだりして心を配っているという話もありますが、私的には
「ちょっと待て」です。

紫式部日記にしか上記のことは書かれていません。
で、まず贈り物。
旧暦9月9日、重陽の節句でのこと。
この日は菊酒を飲んだり、菊の花に前夜綿を被せておいて、翌朝
置いた露を吸い取った綿で肌等を拭って長寿や若返りを祈った
りしました。

その日の朝、倫子は式部にこの”菊綿”を贈っていますが、和歌はなく、
持ってきた女房は、
「殿の上(倫子)が、『殊更によく老いをぬぐいなさい』と仰って
おられました」
とだけ言い、更に式部の返歌(返事)も待たずに早々に(逃げ)帰っ
ています。

式部は単に、
「返歌をしたためたが、既に帰られてしまったと聞いたので、
用が無くなってしまった」
と書いているだけです。

「菊の露 わかゆばかりに 袖ふれて 花のあるじに 千代はゆずらむ」
この式部の返歌は、私は少し若返る程度にして、千年の長寿は
花の主(送り主である倫子)にお譲りします、という内容でした。
それで、式部は倫子の長寿を祈った、と「好意的」に捉えるのが一般❓
のようなのですが、そーかなー。

式部の長寿を祈るというよりは、あなたは殊更よく老いをぬぐいなさい、
というのは嫌みに思えるのですが。
また、返歌を待たずに置いて帰って来なさい、と言うのも、和歌が得意
な式部からの即妙な返歌を受けたくなかったのかもしれません。

倫子はただおっとりしていただけの女性ではありませんし、まぁ、
女性が多い倫子の屋敷の中で、倫子と彰子の女房同士が多少の
いけずをすることもあったでしょう。
まして、主である倫子が嫌だと思う相手には、女房も従うことになる
でしょう。

式部としては、仕えている彰子の母親であるし、倫子は式部より
ずっと位も高いので、言い返すようなことは出来ません。

また、里に下がっていた式部に倫子が彰子の元に戻りなさい、と手紙
を送りますが、内容は、
「”私が”止めた里帰りだから、尚のことあなたは帰らないのでしょうね。
いつまで里下がりを続けるのでしょう」
というもの。
ちょっと怖くないですか❓
早く戻っていらっしゃい、とはちょっと違うように感じてしまうのは私
だけ、奥さん❓

式部はと言えば、冗談であるとしても、このようにまで言って頂き恐縮
なので、予定を繰り上げてすぐにお側に戻った、と日記に書いています。

この頃、式部は道長の妾状態だったのかもしれません。
その後は、式部が仕えた彰子が父のやり方に反発するようになり、道長
に従順ではない実資と親しくなったので、道長と式部も自ずと疎遠にな
ったかもしれません。

公卿達は、馴染の女房に取次ぎを頼むのが慣例だったようですが、
実資は紫式部を通して彰子と話していたのです。性格的には似てい
る実資と式部だと思うので、面白いですね。

私は、教授が仰っていたことも影響しているかもしれませんが、
一時期式部は道長の妾状態ではなかったかと思います。
その後は、彰子が大人になったこと、道長に反発することが増えた
ことや、道長の病気、また年齢的なこともあり、こういった関係は
消滅したのではないかと思います。

もちろん、式部の性格から、妾にはならなかったというのが真実かも
しれませんね。
式部と倫子は、身分は違いますが”はとこ”の関係ですしね。
奥さんはどう思いわれますか❓


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最終更新日  2024.01.22 14:29:07
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