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July 22, 2024
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カテゴリ:光る君へ
​​定子が亡くなってしまいました雫
「光る君へ」では一切描かれなかったけれど、父道隆亡き後、これでもかと
いう程道長から嫌がらせを受け、兄弟は当てにならない立場となり、一条帝
からの愛情だけを頼りに生きていたのに、お産で亡くなってしまいました。

「枕草子」では、定子が道長によって嫌がらせをされても、描かないか、
又はそれすら穏やかに笑って流すような定子の姿が残されています。

貴族達にも味方はほとんどなく、伊周、隆家、母貴子方の祖父、おじ達だけ
がそばにいました。
しかし、その葬儀に母方のおじは身内で葬儀を執り行うのではなく、弔いに
訪れると言う形を取り、身内が拘わらないことに、源俊賢は怒っています。

定子は脩子内親王を産んだ翌年に再び妊娠して敦康親王を生みましたが、
同年にまたまた身ごもり、翌年出産。
この時、後産がなくて亡くなりました。
平安時代には、後産が下りないことがしばしば見られます。

今でも、後産が無い場合でも、へその緒を引っ張ったりすると子宮ごと
出てきてしまうとかで、胎盤が出て来るのを待つしかないようです。
(多少医療行為は出来るのかもしれません。私は最後のお産から30年
近く経っているので、今のお産については良く知りません。ごめんなさい。)

一人目を産んだ時、助産婦さんから
「ちょっといきんで」
と言われ、それで胎盤が出た感じがしました。
後の2人については、後産のことを考えることもなく、いつ出たのかも
知りません🐽

平安時代は、無事に赤ちゃんが生まれても、「いま一つのこと」の為に、
僧侶は一心に祈祷をしました。
ほどなく出ると、
「(僧侶が)ひどく疲れる前に無事に済んだ」
とあるので、胎盤が出ないと大声で祈祷したようです。
それだけ、今より後産を重視していたことがわかります。

定子が残した歌は3首あります。
いずれも定子が伏していた御帳台の柱に結び付けられていたのを、伊周
が見つけたとなっています。
ドラマでは、几帳の上の柱に結ばれていましたね。
御帳台を作るのは大変なのかもしれませんね。

京都・風俗博物館~よみがえる源氏物語の世界~】 2009年8 ...
  御帳台 風俗博物館(京都)

天蓋付きの寝床ですね。
貴人はここで寝ました。また、昼間ここにいることもありました。

頼通の息子が20歳で亡くなった時、妻がやはり、御帳台の柱に亡き夫を
偲ぶ歌を結んでいるので、そういう風習があったようです。

 


  大河ドラマ「光る君へ」第28話。ききょう(ファーストサマーウイカ)と藤原伊周(三浦翔平)は藤原定子(高畑充希・手前)を失い…(C)NHK― スポニチ  Sponichi Annex 芸能
   (C)NHK


定子の和歌は、


・夜もすがら 契りしことを 忘れずば
  恋ひん涙の 色ぞゆかしき
(一晩中誓った私への愛をお忘れになっていないなら、今帝が流される涙の
色が知りたいものです)

クラブ当時、悲痛極まりない時には、紅の涙が流れるものとされていたので、定子
は一条帝が紅の涙を流しているのでしょうか、と歌ったのです。

・煙とも 雲ともならぬ 身なりとも 
  草葉の露を それとながめよ
(火葬されないので、煙にも雲にもならない身は、それとはわからないかも
しれないが、土に埋められた後そこに生えている草に宿る露を私と見て下さい) 

クラブこの和歌を詠み、伊周は火葬を望んでいないのだと知って、土葬にしたと
あります。

・知る人も なき別れ路に 今はとて
  心ぼそくも 急ぎたつかな
(誰一人知る人もいない死出の旅に、これを最期と心細く急いで旅立っていく
ことよ)


定子のお産は、
997年12月16日 脩子内親王
999年12月17日 敦康親王
1000年12月15日 媄子内親王
であり、敦康親王と媄子内親王の間は1年しかない、立て続けのお産です。
出産後1~2ヶ月は帝と会っていないと思うので、再会したらまたすぐに
身ごもってしまったのでしょう。
赤ちゃんは続けて出来ることがありますものね。
産後2~3か月でまた妊娠と言うのは、母体にはキツイことでしょう。

当時宮中での立場もなく、何かと貴族からも非難され、道長からは絶えず
嫌がらせを受け、精神的にも肉体的にもボロボロだったと思われます。
また、あまり動かなかった当時の女性にとって、お産は本当の意味で命が
けだったことでしょう。

しかも、定子は数えの25歳で亡くなっていますが、これは当時の厄年に当たり
ます。厄年は今より多くありました。
今は25歳は男性の厄年となっていますが、当時は男女関係なかったのか、
わかりませんが、厄年であること、占いの結果が良くないことを、定子自身が
心細く感じていたとあります。

とに角、3度目の妊娠で、定子は早くから不安を口にし、涙を流すことが多く、
周りの者や親族も不吉だと感じていたようです。

「枕草子」で清少納言は、定子について、
「中宮様は、お仕えしている女房達が貴族達に誉められるのをとても喜ばれ
た。また、誉められた人のことも喜ばれた。」
とあり、上に立つ者としての人格があり、年上を含めた女房達を上手に扱っ
ていた姿が読み取れます。

「栄花物語」で一条帝は、
「性格が落ち着いていて、情味がある点では、誰も中宮に勝る人はいないだ
ろう。あまり多くの女性を知らないからかもしれないが。」
と女房の一人に話しています。
しみじみ、定子を愛していたのだな、と思います。

悲しい運命をたどった女性として、今の女性達にも慕われる定子。
一条帝を残し、子供達を残し、旅立つ気持ちはいかばかりだったでしょう。


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Last updated  July 22, 2024 04:27:50 PM
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