富山の
広貫堂は、
いたち川の岩倉町延命地蔵尊から車で3分ぐらい。隣に結構大きな寺院の立像寺があり、入口をちょっと間違えかけたが、広貫堂本社から、立像寺の裏手に回りこんだところに広貫堂資料館がある。
白壁の土蔵みたいな資料館。中は細長いつくりで、入って右手に、富山
前田藩時代からの
富山の薬売りの道具の展示や、
富山藩からの
反魂丹役所の江戸時代の看板などの展示コーナー。 また左手には江戸時代からの薬袋などが展示されている。その奥にシアターがあり、江戸城内での
前田正甫が他の腹痛を起こした大名へ与えた反魂丹の物語などが見れる。
これを機に、反魂丹の薬効が知れ渡り、越中売薬がはじまるわけだが、使った分しか取らないということで、買い手にも良心的な商法だが、製薬方法などが外部に漏れにくいので、藩のノウハウも守れる画期的な商法だった。
江戸時代中期には、反魂丹役所が設けられ、その看板が展示されておる。
また広貫堂の名前の由来は、正甫公が売薬人に命じた「広く救済の志を貫通せよ」という言葉からきてるとか。
また明治9年、
廃藩置県により、反魂丹役所が廃止された後、売薬人らの共同出資で設立されたのが、広貫堂であるとか。
昨今、前政権M派により改悪された薬事法により、病院内薬局が廃止され、町中処方薬局が立ち並び、処方代が値上がるなか、越中売薬(富山の薬売り)も例外ではなく、規制。世の中増えるのは大規模チェーンばかりだ。
広貫堂通販コーナー