沖縄の
世界遺産のひとつ、
勝連城跡。
沖縄本島東部に突き出している
勝連半島という半島にある。
与勝半島ともいうらしいが。
城跡は、かなりの高台に作られているが、無料だし、最初の上り坂さえ克服すれば、中城や今帰仁の城址ほど広くないので、15分もあれば一回りできる。県道16号線から来た場合、
勝連城の前を通る手前に
南原漁協組合という看板が見えたらそこを右に曲がり細い道を行くと南原漁港があり、ここからも城の絶壁を見上げられる。 勝連城跡の道を挟んで反対側に駐車場と休憩所があるが、利用したことはない。
この城は
12世紀頃の築城と言われ、茂知附
按司の城でしたが、15世紀に
阿麻和利によって滅ぼされました。勝連城の城主となった阿麻和利は
琉球王朝の第
六代国王・
尚泰久王の娘婿となり、この地の按司(琉球王朝の分家として王子の次の位に位置する)となった。王朝の命で
中城城の
護佐丸をを滅ぼすも、勢力拡大を恐れた琉球王朝は、鬼大城(おにうふぐすく)を派遣し、1458年(
長禄2年)に
琉球王府によって滅ぼされた。その頃の本土は
足利義政が
室町幕府の将軍であったで、
戦国期に入る直前のときである。
勝連城は、四方八方が見渡され、絶壁の高台に位置する強固な城であったが、
籠城しなかったようである。
城跡からは、東南に半島の突端にある
米軍基地ホワイトビーチ、もずくの産地である
津堅島が、東から北東にかけては
海中道路、
伊計島、
宮城島、
平安座島、
浜比嘉島、南には泡瀬、中城の海岸線が眺められ、眺望もいいが、行った時はいつも風が強い。
首里城と違い、穏やかな勝連の海岸、平敷屋は当時、貿易に適し、大陸の
元 (王朝)の時代から
明にかけて、また
台湾などの
南洋の島々と積極的に交易し、滅びる直前には琉球王朝を凌ぐ隆盛を誇ったそうな。
2000年11月に、首里城とともにユネスコの世界遺産にも登録された。
にほんブログ村