沖縄本島東部、
与勝半島から
海中道路にて渡る最初の島が
平安座島。石油基地が島の殆どを占めているので、海中道路を渡りきると観光資源は殆どんない。
沖縄が返還される以前の
昭和30年代後半、米国系
メジャー(
国際石油資本)が石油基地のための場所を物色していたときにそれを誘致したのが、平安座島唯一の町であった
与那城町。昭和45年に米
ガルフ社により石油基地が完成すると、昭和47年には勝連側の屋慶名かた平安座島までの全長4.75kmの平安座海中道路が完成し、沖縄本島と平安座島が陸続きとなりました。
沖縄返還後の昭和50年には
丸善石油と
三菱石油により、平安座島の北側の第2の島
宮城島との間も埋め立てられ50基以上の石油タンクを有する広大な
石油備蓄基地となっています。したがって島の面積の80%以上は石油基地で関係者以外立ち入り禁止となっていて、海岸線の60%以上は石油基地敷地内なので、今では、
浜比嘉島や
伊計島へ行くための通過点になってしまっています。それもあってか、平安座島の漁港内で釣をしても釣果としてはあまりよろしくなかったです。浜比嘉大橋下は流れ早くこれも釣にならず。
そんななかで、後者が埋め立てた宮城島との間の東側が一般道になっていて、約1.6kmに渡って、ほぼ直線で走っていて、それに沿って、海沿いに護岸壁があり、そこには、地元の子供たちが描いたアートが描かれています。 最初にここを通ったのが丁度今から10年前で、最初は違法な落書きかと思いましたが、毎年なのか、隔年なのか、アートコンクールが開催されるようで、描かれた絵も変わっています。
護岸の海側テトラポットで釣り人をみかけましたが、足場があまりよりしくないようです。
オーシャンビューでくつろぐ、島の自然とやすらぎの時間を落ち着いた雰囲気の部屋から東洋一の海中道路を眺めることができます。
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