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カテゴリ:ママのひとりごと
5月2日 午前5時53分 父は母のもとへ旅立った
4月4日 私のスマホに、知らない電話番号からの電話があった でも、市外局番が、実家周辺の番号だったので、出てみると 父が入所している施設からだった 『視線が合わない。元気がない。血便が出た』とのこと 本来の連絡先は妹になっているのだが、たまたま電話に出られなかったようで 私にかかってきたのだった 『看取り』までお願いしている契約なので 『このままでもよければ、結構ですが、病院等に連れていくようであれば手配してください』と 『このままでよければ』 そのまま亡くなるのを待ちますよってこと 確かに延命治療はしないとはいえ・・・・ 病院に連れて行って下さいという言い方ではないのね まあ、施設のスタッフにしては、慣れたことなのかもしれないけど 聞かされた私はびっくりして、すぐ妹に連絡を取った 病院は休診日であったけれど、かかりつけの病院が受け入れてくれることになり 妹が連れて行ってくれたら、即入院 コロナではなかったけれど、肺炎を起こしていたらしい そのまま、約3週間 前回の入院より、状況は厳しい様子 食事が取れない 病院にいれば、点滴で水分は取れるけれど、それ以外にすることはない・・・と 4月27日に退院し、施設に戻った その翌日、施設の主治医から妹にあった連絡は 食べ物はもちろん、水分も十分に取れない 誤飲 肺に入ってしまうので、もう長くないと もともと、GWは帰省するつもりではいたけれど コロナのこともあるから、帰省を中止することも考えたけど この状況では、帰るしかない 2日には帰るから、それまで頑張ってと 確かの2日まで頑張ってくれた 私が施設に到着したのは、2日の午前1時頃 妹が付き添っていてくれた 目を開くことも難しいような状況で、手をバタバタし 息は荒い 私だって、わかってくれたのかも微妙だけど とりあえず、まだ生きていてくれた 手を握り締めても、握り返してくれることはない ただ、待っていくれたのは間違いない 一旦、妹を残し、妹の家に帰って、仮眠 5時ころだったかな 妹からの電話で、健斗&海翔を車に乗せて、もう一度施設へ 3~4時間前のバタバタする元気はもうなかった でも、微力な脈を感じることができた 体温はもう低い ふぅ~と息を吸い込んだと思ったら、脈が消えた 5時53分 あ~~ 旅立ったんだな 私たちの到着を待って、静かに息を引き取った 88歳6ケ月 お疲れさま そしてありがとう このご時世なので 葬儀という形はとらず、家族と一部の親戚だけで、見送ることにした 3日は友引なので 2晩、実家の仏間で一緒に過ごし 4日、午前10時 荼毘に もともと大きくはなかったけど 痩せて、小さくなった父が、もっともっと小さな箱にはいってしまった ゆっくり休んでね ありがとう そしてまた、来世で会おうね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年05月05日 22時08分46秒
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